
香山リカ「就職がこわい」、斎藤環「思春期ポストモダン」の2冊を続けて読んだら
(いや、もちろん僕は学生でも思春期でもないんだが…)
必然か偶然か、両方に「エヴァンゲリオン」に関する記述があった。
前者は、就職活動に不熱心な人は、シンジのように「突然」
どこかから「指名」がくることを待ち望んでいるのでは、といい、
後者は現代における「成熟困難」の象徴とみている。
どちらも「世界」に自発的に適応できないシンジのような「私」を
未熟と見ているのだが、その一方でこの「世界」が適応するに値するか、というと
判断を留保せざるを得ない、というのが、この手の「若者論」のジレンマだろう。
自慢ではないが、シンジやレイは他人事ではない、と感じた僕にとって
この「世界」に対する違和感は決して消えないと思う。
だいたい真っ当な社会人など、偽善と欺瞞を内面化しなければ
やっていけはしないでないか。
それは「未熟」といわれたら仕方ないが、僕なんぞは
「表面だけは何とか社会人かも」てなところである。
(一応断っておくと、僕はアニメファンでもなんでもなく、
エヴァを観たのは去年がはじめてである。)
そういう僕にとってこの作品には当初からストーリーそのものよりも
演出について不愉快な違和感が大きかった。
観た人なら分かると思うが、主人公シンジは他人との接触を拒否したがる性格で
とかくそれが批難される、というより
「他のキャラに批難されるような言動・行動を作り手によって
わざわざ取らされている」のである。
なので、シンジは全くもって不甲斐なさの固まりみたいにみえるわけだが
僕はこの演出に最後までなじめなかった。
シンジをセカイ系だか、成熟拒否だかといって文句いうのは勝手だが、
むしろ僕は大人の描き方が嫌いだったぐらいだ。
というのも、そもそもシンジとのコミュニケーションを拒否しているのは
まわりの大人たちの方なのだ。
シンジは10年も前に自分を捨ててどこかに消えた父親にいきなり呼び出され
エヴァに搭乗することを要求されるが、シンジは「自分にできるわけない」と
拒絶する。
この時父親のゲンドウ含む大人の台詞は「さあ乗れ、嫌なら帰れ」だけ。
その間説明も説得も懐柔も一切なしである。
あげくの果てに「自分から逃げちゃダメ」ときたもんである。
そっちで勝手に呼んでおいて何だそれは。
これで子供の「コミュニケーション拒否」を批難できるのか。
こんな環境にいればコミュニケーション能力が落ちるのは当然だろう。
使わない筋肉が退化するのと同じである。
ロボットアニメと思ってみてるから、さっさと乗れよ、と思う人も多いだろうが
この場合シンジの反応は正しいのだ。
だいたい、現実に10年前に蒸発したままの父親から急に呼ばれ、いってみたら
最近この辺物騒だから車で送り迎えしてくれ、と言われたら、俺が知るかいっ、
と怒るのが当然だろう。
しかも、ろくな仕事をしないくせに子供相手にだけは異様に横柄になる
ネルフの諜報部員、まるきり今の教育委員会だが、こんな連中の前で
「僕は卑怯で、臆病で」なんて言うなよシンジ君、と画面に向かっていいそうになった。
また、ミサトというキャラは物語を推進する上で、一番ご都合主義的に作られてるから
一個の人間としてはかなり理解不能で、シンジが動いても止まっても悪くいうことになっている。
おかげで作り手は「私」と「世界」とどっちの批判したいのか分からなかったが、
どうも現実社会においては、社会に適応している人はシンジを批判し、
社会との違和感のある人はシンジに感情移入して勝手に落ち込んだりしてたようで、
どっちにしても、「世界」のほうが正しいという認識だけは共通しているようだ。
単純に「世界」が悪い、などというほど僕も単細胞ではないが
好きでこの世に生まれ出たわけでなし、好きで年金払うわけでなし
若者が就職しない、あるいは引きこもる、といった事態は誰にとって
一番不都合なことなのか、批判する前に考えてみたらいかがか。
いずれ、成人しても自分の面倒が自分で見れない、というのであれば、
これまでの学校システムは何だったのか、ということも含めて。
ただし僕は、自分自身は「成熟拒否」するくせに、他人は「大人」である
ことを要求(例えば自分のケアを無条件に他人に要求するような)する
精神は嫌いである。やはり自己本位で傲慢だと思うからだし、
何故他人にそれが出来て自分にそれができないかぐらいは自問すべきだと
思うからだ。
ついでに、何もできないくせに他人の揚げ足取りだけはしたがる連中は
シンジやアスカの100分の1でもいいから、自分の存在価値について
考えて頂きたい。