
…もう載せる絵を考えるのがめんどくさくなった!?とか思われそうですが(苦笑)。
※こないだのハゲタカ本の例のチラシのカットですね~
ええ、まあ…ハイ。
そういう気持ちの余裕も無くなってきつつある、のかも知れませんね。。。
今朝、世界を駆け巡ったニュースで「米国の金融安定化法案が議会で否決された」というのがあったと思いますが。
自分的に、かなりショックでしたね…。(汗)
少なくとももう少し、みんな自分だけのことではなく、世界全体のことを考えて行動してるのかと思ったから。エライ人とかって(まあ議員とかもね…)。
どういうことだったのか端的に説明しておくと。
これは、例のサブプライム・ローン問題から始まった世界の金融の混乱状況を何とか収束させようという、”最後の切り札”のような法案だったのですね。
というのは、サブプラ関連の不良資産(回収不能になった債権とか)というのを
「持ち続けているとどこまで値下がりしてしまうか分からない資産=”爆弾”」
と仮定して。
この重大な危険物を、例えば銀行とかの「帳簿」からバッサリ切り離してしまわないと、この先もいくらでも傷口が広がってしまい、遅れればそれだけ企業の体力を奪うことになる。(日本でも長銀とかの頃に大騒ぎしてましたね…)
だから、一刻も早くこの”爆弾”を誰かが「買い取って」処理してあげなければいけないのでした。
(いっそタダで捨てろ!といっても、それも数字の上では単なる大損失にしかならないので、民間企業としてそれは出来ないから…)
それで、じゃあその危ない”爆弾”は米国政府が責任を持って、お金も使って処理しますよ、という。…はた目には如何にも納得行く処置のように見えますよね?
だって他に、つまりもう政府以外に、その救済が出来る所なんてない訳ですから。
ところが、これには足元の米国庶民層がぜんぜん納得出来なかったらしいのです。
「公的資金(=自分たちの税金)でウォール街の、さんざんオイシイ思いをしてた金持ち連中だけを救うのか?冗談じゃない!」と。。
で、このいわば民衆の恨み声に恐れをなしたのが、米国議会の議員たちで。
つまり、アチラの国でも選挙が近いんでね…。
こりゃやばい、この法案に賛成なんかしたら自分の票に響くというわけで。。
で、政権側であるはずの共和党内部から多数の「造反」があったらしい。
(そんだけもう、ブッシュ政権が末期だということでもあるんですね…)
何かもう、目の前が暗くなりますね。。
ことはもう、「金持ちが」とか「貧乏人が」とか分けて考えられるようなレベルじゃないんだってことが、まるで周知されていない。(いや理解されないのか?)
この現代の「金融システム」というものは、しばしば人体でいうところの「血流」にも例えられるものであります。金=血液と考えるのが一番わかりやすい。
その膨大な範囲に及ぶ、網の目のように張り巡らされた「大動脈」の中には、各国の中央銀行、大手銀行、一般の地方とかの銀行の他にも、かの悪名高い投資銀行とか、ファンドとか、証券、保険、先物市場…その先の「太い血管」からはあらゆる企業によって構成される各国の「実体経済」というものがあって…その先の「毛細血管」の、その末端の末端につまり我々、一人一人の一般市民がいる、という相関図になっている。
国家が金融機関に通貨を供給し、金融機関が企業に資金を出し、企業が労働者に給与を出し、労働者でもあり消費者でもある市民がその「お金」でものを買うなどの行為を行うことで、初めて世の中に「価値」の循環が生まれる。
その循環が、「お金の流れ」が止まる時―。
奔流のような「血の流れ」が、「血管」のそこ此処で詰まったり、破裂したとしたら…。
その無数の「毛細血管」の末端で、「血流」が途絶えたことで「”壊死”する細胞」の中に、”自分だけは”絶対に含まれないなどと、この世界の一体、誰が言えるのでしょうか…?
これが、つまりは「金持ちとか貧乏人とかの問題」じゃなく、世界全体の問題になってしまっているのだ、ということの、とても大づかみな意味です。
誰がこんな風にしてしまったのか?という議論を今、してる暇はなく、まずこの「世界」を救うことが先決だろう?と…みんなそう考えて行動すると思いましたが。。
どうも、そうじゃないみたいですね?
きっと皆、自分ひとりのことしか見えなくなっているんでしょうね。。
今、「資本主義の危機だ!」とか言う声が世間にあるようですが。
むしろ、これは「民主主義の危機」だろう、と私個人は考えています。
民主主義とは、あらゆる個人の「自由」とともに、個人の「欲望」も肯定されている社会です。
個人が幸福を追求する自由…それが「金儲け」のことであると理解されている世界では、それを誰にも止める手段などはありません。皆、自由なのですから。
しかし一旦、こういった深刻な危機が起こった時にこそ、その自由な社会の弱点が一気に露呈することになる。
大衆レベルの多数の合意無くしてはあらゆる必要な政策も講じる手段が無い、そのために危機への対応が後手に回り、混乱と破滅に拍車を掛ける…そういう議会制民主主義というものの限界。
その結果、何が起こるのか?
「絶対的強権を持つ天才的個人」の登場を民衆が熱望するようになり…やがてそれは、必然的に、狂信的に支持された上での「独裁政治」を招来する。
民衆は、時に救いを求めて自らを弾圧する人間をすすんで頭上に戴こうとする。
そのことは、これまでに歴史が繰り返し繰り返し、教えてきた。
もしかすると、我々はまたその道を行こうとしているのかも知れません。。
あの、「いつか来た道」を―。
いま、多くの人が「世の中の何がどうなろうと自分には関わりのないことだ。知ったことじゃないね!」と思っているかもしれません。
しかし、決してそんなことは無いのです。
かつての二度にわたる世界大戦は、一体”誰が”引き起こしたものだと思いますか?
あれらは、どっか遠い宇宙から飛んできた何かと人類が戦っていたのでしょうか?
違いますよね?
それぞれの「国民」と「国民」が、戦ったのです。
各国の「国民自身」が、どこかの時点で破滅的な戦争への道を”選んだ”のです。
(かのヒトラーですら選挙で合法的に政権の座についた)
そして、その背後には当時の「経済問題」がハッキリ、色濃く影を落としていた。
かつての大日本帝国でもそれは同じことで。…長くなるのでここでは割愛しますが。。(気になる方は自分で調べてね!)
つまり何を言いたいのかって言うと。
今、世界で起こっていることに、これから先も「自分と何の関わりもない問題」なんて、実は一つも無いってことです。
皆が関係ある、世界みんなの問題なのです。
いきなり全部は理解できないとしても、少しでも「わかろう」と思って見てみよう。
私は、今だって皆に「絶望しろ、全てもう諦めろ」とかは言いたくない。
これまでに書いてきた未来への希望や、ワクワクする夢、環境とか人権とか愛とか妄想とか、そういう全てのことも、きれいさっぱり捨てるなんて気は毛頭ないし。
何か「理想」を持っているなら、そういう世界を手に入れるためには「自らも戦わなきゃいけない」ってこと。
私は、このLWとか自分のブログとかで、無駄話をくっちゃべったり、好きなイラスト描いて見せ合ったり、ときどき仕事しながらパソコンの前で居眠りしたり、友達とメールで将来語ったり、テレビ見てギャハハと笑ったり、猫とたわむれたり…そういう「平和」を諦めたりするつもりは、それこそ1ミリだってありません。
それ(=このノンキで平和な世界)を守る為に、この自分に何が出来るのか?
自分は何と、どう戦って行けば良いのか?
そういうことを、今は考え始めています。
要するに、絶望してる暇なんか、無い。