
今日、渋谷で以前からのブログ友達の歌い手さんのライブがあるというので、普段インドアなもぐが、珍しく勇気を振り絞って(?)聴きに行って来ました!!
※我々ヲタ一族にとってシブヤ界隈がおよそ「鬼門」の方角であるという揺ぎ無い事実については、皆さん異論はございますまいと存じます。。(笑)
以後、前半は「突撃!もぐライブハウス初潜入記」なノリでお楽しみ下さい♪♪
それにしても、自分的に「人生初の(本物の)ライブハウス」。
…いいか?カラオケやさんとかじゃあないんだぜ??(当たり前)
き、緊張するぅ。。。
しかも!その歌い手さん(めっちゃカワイイ女の子だ☆)にプレゼントあげよう!なんて思って↑こんな色紙まで(写真だけで描いて全然似てなくてスイマセン!伏)また半徹夜して頑張って描いて、入れ物入れ物…とあわてて大きめの袋探してて、とっさにつかんで持ってったやつが
…前回コミックマーケット(夏コミ)限定販売キャラ入り紙バッグだった…(爆)
誰か、こんな馬鹿な私を助けて下さい!あんな袋もって山手線のってシブヤ(東口だけど)歩いちゃったよ!!(しかも、あげてきちゃったよ~!失笑)
とまあ、そんなこんなで出だしからヤバすぎる私。。(いささかノリもヘン。。)
それでもとりあえず無事に、地下に潜伏することが多い(?)と言われるライブハウスの入り口を探し出しました。(そのお店は普通にわかりやすかったけど)
恐る恐る中に足を踏み入れると…うおお!やっぱし!!?(走る衝撃)
見るからに「ダサい格好の人間」てのが一人もいねえーーー!!!!!(驚)
こ、こんな状況はここ数年で初めて目にするぜ!!!?(爆)
さすがシブヤだ、有明とは違うなっ!?(イヤその発言問題大有りだから。。)
…などと思ったかどうかはかなりどーでもいいので置いといて、まあでも本当に皆さん若くてオサレでいらっしゃって。。男子はいわゆるイケメンばっかで。。。
正直いって最初、激しく、居心地の悪さを感じました私…ハイ☆
で、トイレの前にちっこくなって(でも相変わらず荷物は大量。笑)ライブ始まるの待ってたんですが。
演奏形式は、ブッキング?というんですか?私のお友達以外にも何組か演奏されるそうで。お友達は二組目だとのことでした。
そこのお店、かなりスペース的には小さめな感じの空間だったのですが、それでも照明とか音響設備なんか素人目にもかなり本格的で。
むしろお客さんとの距離が極端に近いので、演奏する方にとっても刺激的かも?とか思いましたね~。(最前列の人とかほんとにヒザが触れそうだろうと)
お店のホームページ見た感じでは、アコースティック系というか、いわゆるロック系でガンガンかけて耳が痛くなる…系のではなかったようです。全体にすごく大人っぽいムードでしたね。。(お客さんは本日のアーティストさんの学校関係でお若い方が多かったと)
そんな具合に、最初のうち完全に借りてきたトラフグ(?!)状態だったもぐ。。
ですが、いったん音楽が始まりますと、これはもう本当に「別世界」なのですね。
(暗くなって周りが気にならなくなるというだけではナイ)
すぐ目の前で、ナマで歌う「歌い手さん」の迫力に、マジで圧倒された。。
一番最初に歌った男の子(失礼…あんま若いから。。)は、「ぼくはまだ一年前から音楽を始めたばっかりで~」とか言ってたんですが、それでも、彼が自作の歌をギター弾きながら、体中で声を張り上げて歌ってる姿には、何ともいえない「説得力」みたいのがあって。
正直、こっち方面ほぼ素人の私には音楽的に、上手いとか下手とかわからない。
でも、凄い「響いて」きた。
「キミに送る何とかかんとか…」みたいな詞を、例えば自分が声だして読んでみ、とか言われたら、恐らくもう赤面しまくってしまってダメだと思うのです。。
その恥ずかしさを超える方法が自分には思いつかない。
いや、方法とかいうより、体が脳の指示に従ってくれないと思う。
…関西人風に言うと「よーやらんわ。。」ていうの?(違ったらすいません…)
馬鹿にしてるとか、そういうのは微塵もないです!…うまく伝わるかなぁ?(汗)
いま、目の前で起きている「これ」は、確かに一つの「表現」であって。
それはこの自分が選んだ方法論とは、それこそ180度以上も”違う”のだけれど。
でも、確かに存在の奥底から来る「表現」であるという意味では、同じなのだと。
一組目が終わって、私のお友達の歌い手さんの曲が始まった時、そういうようなことをほんとに心底から、真面目な話、”衝撃とともに”思い知りましたね…。
その子は、ブログでちらっと(限定記事ですが)見える容姿なんかからすると、とっても可愛らしい、もぐなんかが「守ってあげなきゃ!」とか思ってしまうようなコなんですが。
照明を落とされたステージの、暗闇の底からゆらり、と浮かび上がるように歌い出した彼女の声の、その圧倒的な「存在感」ときたら―。
ちょっと、大げさじゃなくマジで”鳥肌”たってました私…。
白状してしまうと、この日まで彼女の歌を聴いたことが一度も無かった。
友達だと思って、コメントで会話しててもほんとにいい子で、大好きだーと思いながら、きっとどこかで「でも、このコの歌を自分が好きになれなかったらどうしよう…」みたいな恐怖感?があったようにも思う。
お互いに、作り手同士だからこそ、相手の作る世界を好きになれなかったら…そんなことを考えると、ほんとにどうしていいかわからないくらい怖いと思った。
好きな相手の世界を、自分が受け入れられなかったら。
だから、方法は色々あるのに、意識してわざと聴かないで来た。
そんな自分の無意味な臆病さを彼女の「声」は木っ端微塵にぶち破ってくれました。
あの細い体のどこにあんな地の底から爆発するようなパワーが隠れてるんだろう?
あの可愛らしい顔のどこに、あんな深い翳と情念とが秘められているんだろう?
あの心に重く響く言葉の数々は、あんな若い彼女の記憶のどこから来るんだろう?
あの、歌の合間に見せる気恥ずかしげな仕草と、歌い出して「入り込んだ」彼女はどうしてこんなにも激しく「違う」んだろう?
まるで”巫女”(シャーマン)みたいだ…
詞に合わせ、ひらりひらり宙を舞う細い手も。
ステージの闇にうつむく儚げな白い額も。何もかもが。
まったく大げさな表現でなく、そんな風に感じました。
そして、唐突に自分、こう思っていました。
「こりゃ、こっちも恥ずかしがってる場合じゃないな…」と。
変な話だと思われるかもしれませんが。。
それほど、彼女のパフォーマンスは力強くて、歌声には真実が込められている気がして、ああ、この子は自分の全存在をかけて今、歌っているんだなぁ…と感じた。
翻って自分はどうか?
ちゃんとやれているのか?という…。
いや。まだまだ自分、全然「存在全部をかけて」なんて作れてはいない、かな…?
まだまだ恥ずかしがってて、相当カッコつけているよな。。
そういう自分の”足りなさ”を鏡に映して突きつけられたような気がした。
あるいは”巫女”(つまり憑依状態とか?)に例えたりしたら、彼女には失礼になるのかも知れない。
もっと自覚的に、全てを計算して「自分」というアーティスト像を作ってるのだとしたら。そういう可能性も大いにあるし。
…本当に、音楽とかをやっている人達の「自分を客観的に眺められる能力」にはあやかりたいもんだと常々思う。何で皆あんなにカッコいいのか?!(汗)
そう考えて、もしかして
「一度、外に出した”声”や”音”は取り返しがつかないから?」
なのではないか、と思った。
例えば、自分が描いたイラストは、ヤベ、これ人に見せたくないな~とか思ったら隠すことも出来る。何にも描いてませんでしたよ?ってな顔をして、後ろに回したりして。
今はネット上にのっけた絵でも簡単に下げられるし、修正も出来る。
でも、肉声(楽器でも)で歌われる「音楽」は違う。
それを一旦「耳にした」人の脳みその中から、その音を取り戻すことは出来ない。
”マズイ音だな…”と思われたら、それっきりその人の中で音楽は”終わる”。
もう二度と、その人が自分の音に興味を向けてくれることは無いだろう。
だから、彼らはいつでも「これが最後になるかもしれない真剣勝負」を戦っているのかも知れない。
それが「ライブ」感覚を持つ表現形式の緊張感なのかな、と。
もちろん、自分らの例えば「絵を描く」とかの表現形式の、一つの完成までにある程度の長い期間、持続的に続く緊張状態や、集中力を維持し続けること…そういうのを簡単な作業だと言うのではない。また別の難しさがあり、意義も価値もある。
それでもなお、彼らと自分たちの「違い」はあるな、と思えた。
で、ありながら、本質的にはやっぱり「同じ」なんだよな、とも。。
同じっていうのは、例えば作ることを”仕事”として考えれば「いつでも最後かもしれない~」は、同じかもしれないってこと。
第一線のプロの方々がよく言いますけど、
『(自分が過去にやった)仕事が”履歴書”だ』
って。
イラストとか含め、クリエイティブの仕事には特別に免許も無いし、資格もあんま関係無い。(建築とかはありますけどね。あと学校もまぁ様々ある訳ですが…)
「今日から私クリエイターです」って、それで仕事受ければ即・開業。
その過去のお仕事を見て、「いいなぁコレ」と思ってくれた別のクライアントさんから、全く別の新しいお仕事が来る。
その新しいお仕事を見て、また別の御注文が来る。
これがやっぱり理想、だと思うんですよね。。
いつでもそう上手く行くとはもちろん限らないけど、そういう気持ちでやった方が絶対良いと思う。それはどんな意味でも。
…仮に。もし何となーく適当にノリで引き受けちゃったお仕事があったとして。
あぁ、なんかやる気でねえなぁ…でも前払い(滅多に無いですが)金もらっちゃったからやんなきゃなぁ…とかぶつぶつ言いながら、まあ、どうにか終わらせたとしましょう。正直、あんまり気合い入った出来にもならなかったとして。
でも、まあいいかっと。。
それでも、いったんプロを名乗ったのであれば、そのお仕事には「自分の作家名」が確実について回る。
如何にもユルイ、気合い入ってない、つまんなそう~に仕上げた感が見え見えの、その仕事が、アナタの”履歴書”として、世の中に流通してしまうかも知れない。
どれくらいの人の目についてしまうかも知れない。
その中に「うわー…、こんな人には絶対仕事頼むのやめよう…」とか思う人がいないとも限らない。
そう思った誰かが、また別の誰かに「あ、この人やめたほうがいいよ」と”忠告”なんかしたりするかも知れない。
…結果、アナタは自分では”何もしていない”のに、あまりにも多くの貴重なチャンスをみすみす逃がしてしまうことになる…かも知れない。
今言ったことは全て、脳内シミュレートというか、仮定の話に過ぎません。
気にするも気にしないも、それぞれ個人の自由です。
けれども、私自身は、非常に苦い悔恨とともに、以下のことを痛感しています…。
「言葉」や「音」と同じ、一旦、外に出した「作品」は、取り返しが付かない。
人の記憶に一度刻まれてしまった印象を修正したいと思ったら、それこそ膨大な手間と苦労がかかるものだし、そんなことをする以前に、一度「駄目」の烙印を押されてしまったら、ほとんどの場合、もう二度とその相手との縁は、繋がらない。
”機械”が相手なら、何度かは「パスワード」を間違っても許されるでしょう。
それらを全く違うアクセスだと”認識”してくれるだろうから。
しかし、人間が相手だと、そうは甘くは無いと思います。
「つまらない奴」とハッキリ記憶され、次回以降のアクセスは完全に拒絶される。
相手の中でも。また、自分の中でも。
それが、”取り返しが付かない”という本当の意味なのです。
「ライブ感」とは若干違う、けれどもこれも、ひとつの厳しい緊張感だろうと。
我々だって、いつでも「これが最後になるかもしれない真剣勝負」を戦っている。
本当は、そうやって”戦っているはず”なのだ。
そのことを、今日の歌い手の彼女の真摯な「声」は、軽くない衝撃とともに、私にハッキリと思い出させてくれたのでした…。
※↑の記事はちょっとアレ(笑)な終わり方してしまいましたが、ほんとにとっても素晴らしい歌い手さんです!ご本人がブログで画像たくさん載せてらっしゃったので、こっちでも引用してみますね~♪(もしかしたら先方に不都合あったりして断り無く削除させていただく可能性もあります。何卒御了承下さい。。)
『キーコさんブログ・音楽室のカギ』
↓
http://blogs.yahoo.co.jp/keyco921/folder/1643474.html
遠くからでも応援していただけると私も嬉しいです~♪♪