
どうも!皆様お世話になっております、毎度×2のもぐでございます。。
開店間もない当方ショップへのお運びもいつも有り難うございます!!
とりあえずしつこい?とか思いながら以下、リンクですっ☆(爆)
■もぐもぐの本(とそのうちグッズも)ネット通販サイト
『Cloud Street shop』
↓
http://cloudst.com/
まだ御存知無い方はこの機会に是非一度♪立ち読みも出来ますよ~ん。。(言い逃)
※商品には二次創作作品を含みます
え~。。この画像はだいぶ前にちょっとある筋から頼まれて、シリーズもののキャラクターイラスト的な某社内コンペ?に出すんで一点だけ描いたんですが、まあ案の定?不採用だったし、大体、もう時効だよね!(爆)ってんでこの度めでたくブログに使いまわし☆することに致しました。。(一応Illustratorでパス描いてます…)
見てわかるとおり、軽めですが一応「お化け」なんですな~。
夏向けのキャラですので、今日あたりでそろそろ賞味期限切れそうだし(笑)使わないともったないということで。。
…これでも、最終選考くらいまでは残った?ぽいんだけどね…。
何しろ私、可愛いキャラもんとか大の苦手くんですからね。。(遠い目)
そんな自分にしてはよく健闘しただろうと。(苦笑)
「子供が喜びそうな、しかも、ちょっとセクシーで可愛い”オイワサン”的な~」
…っていう発注、それ若干矛盾してませんか??(苦笑)だいたい子供にセクシーはわからんだろ☆(しかもオイワサンって…あぁ南無阿弥陀仏。。)
ええ。。
私、世の中に怖いもんとか一つも無さそうな人に見えるようなんですが(?)。
実はもの凄い苦手です…お化けとか、心霊スポットとか。。(泣)
作りものの「お化け屋敷」、すら完全にダメです。。。
入り口まで友達に強制連行されて、入って3メートルの地点からダッシュで逃げ戻った経験アリです…だって、だって天井から狐のヌイグルミがっっ!(大人失格!爆)
そんな自分ですので、オイワサン(…こうして文字にするのも本当は苦しいぃ。。汗)の云われは文学的?知識として知ってはいるんですが、それをそのまま絵にするのは可哀相すぎて耐えられないので、うーんうーんうーーーん…とさんざん悩んだあげく。
「年頃の可愛い女の子が、ハチに目の上刺されてぼんぼんに腫れちゃって、その顔を鏡で見た時のショックで『きゃ~…ばたっ』と、心臓麻痺で死んじゃったんだよ☆」
という謎すぎる結末を勝手に導き出した!(爆)
…てなワケで、薬の袋もって目のコブ指差してて、となりにハド○ンの蜂みたいのが飛んでるっちゅーことで。。
あ~…。なんか今、自分で書いてて猛烈にアホらしくなってきた。。(落)
何で自分、こんな向いてないお仕事まで受けるんだ?とか…ごにょごにょ…。
どうぞ皆様こんなもぐを思う存分、失笑して下さいませ。。。
恥と背中はいくら掻いても減りませんし!(いやそれ人としてどうなん??笑)
とまあ、毎回エントリの最初は本文とあんま関係ない話から入ってしまうんですが。
これで「ちっ」とか言って読まずに、途中で脱落してる方が結構な数いるんではないかとか…?(苦笑)
すいませんホントに、無駄口が多いわ、長いわでどうも。。
「お前の文章は読み難い」と、つい先日知人にもはっきりキッパリ言われました☆
…自分としては、何とか少しでも(少なくとも自分にとって)間違いなく、正確な記述を心がけよう~とか思っているんですけどねぇ。ダメですね、まだまだ。。。(凹)
でも、それでも文章は書くことでしか上達はしない(と思う)ので、書きますけどね!(笑)
本題に入りましょうか。。※今日もそうとう長いよ!(爆)
正に先ほど、「書くことでしか文章は上達しない」と言いました。
これはイラストとか絵画とか、表現全般に言えることだと当然ながら思います。
少し以前になりますが、もはや国民的偉人の映画監督・宮崎駿さんがある雑誌のインタビューでこんなことを言っておられました。
「(中略)…自分の息子が小さい頃、スイミングに行かせようとしたらすごく嫌がった。その理由を聞いたら『泳げないから行きたくない』というんだ。俺には、その気持ちが凄くよくわかったんだよね。…」
自分も若い頃、同じように「(思うように自分の作品が作れないから)作りたくない、みたいに思ってた時期があった」そうで…。あの大監督にもそんな時期が!!
泳げないから、泳げるようになるために、スイミングという「泳ぎ方」を教える教室に通う。当然といえば至極当然のことです。そこへ通う前に”泳げない”というのもまた自明のことで。
しかし、それが恥ずかしい。
…私にも、よっく分かりましたね。この気持ち。
何かを描きたいと思うのに、描きたいようには自分の絵が描けない。
だから、「絵の描き方」を教える学校にお金を払って通い、誰かに習おうとした。
でも、そこで描けない自分をさらけ出す、そのことを自ら認めるのが嫌で仕方ない。
その時その時点で、自分よりも「描ける」やつを見ては、その人と自分を引き比べては、妬んだり、地団太踏んだり、勝手に自分に絶望したり…。
何か技法的に知りたいことがあっても、わからない自分が恥ずかしいので結局、周りに沢山知っていそうな人がいるのに、誰にも一言も訊くことが出来ないという。
そのために学校に入ったんじゃないの!?みたいな(笑)。
…負けたくなかったんですかね。何かに。
それは恐らく、自分の周囲の他人とかいうよりは、もっと根源的に、言ってみれば「自分の中にある”理想”との、無残なほど深いギャップ」に…ということだった、ようにも今は思えますね。
「いやいや、こんなはずじゃないだろう?!」と叫びたい自分がいつも居た。
そんな自分の出したモノ(作品とすら呼びたくなかった)を、他人に見せることも、嫌で嫌で仕方がなかった。まして同じ道を志している?らしい同輩らには。
そうやってぐずぐずして逃げてばかりいて描かないから、一向に「上手く」はならず、「上手く」ないから余計に描きたくない、という実に全く意味不明な思考のデフレ・スパイラル(笑)。
何であれ上達するためには、やって(描いて)みて、それを他人の客観的な視線に曝して、批判なりアドバイスなりを冷静に受け入れ、さらにもっと描く―という過程の積み重ねがどうしても不可欠なのですが。
あの頃、自分にはどうしてもそれが出来なかった。
いつでも自分の描いた絵を腕の中や、背中の後ろに置いていた。
どうしても、隠さずにはいられなかった。
それらは全て、見るに耐えない「自分の汚点」に過ぎなかったから。
…だったら、つまりそんなに嫌ならいっそ辞めれば?と思われるでしょうが、そこがまた難しいところで(苦笑)、それほど自分の下手な絵が嫌いでありながら、同時にまた、どうしようもなく「自分の絵」というのに執着しているわけですよ。。
(何かの作品のファンであるとかで)「他人の創った世界」に安住しきることが出来れば、それはそれで色々あるでしょうが、もう少し楽に?というか…少なくとも、こんなに無様は曝さないですんだのでは?などとも…。
あ。怒られますかねコレ??(汗)
「自分で」創る道を選ぶということは、それが無意識的にであれ、ある意味とても傲慢な(神になろうとでもするような?)たくらみでもあり…同時にまた、とても孤独で、苦渋に満ちていて―。
まあ、一種の「病気」ですよね(笑)。
私に言わせれば。…あるいは「呪い」と例えても良い。
それは恐らく、絶対に”死ぬまで”逃げられない類のものであるから。
否、それどころか、子々孫々にまで累が及ぶかもしれないという、濃密すぎる「表現(への欲求)という呪縛」。
…つまり、私が「これ」をやることになったのは、決して私一個の意思では無い…という。だから結局、逃げられない。
皆さんも、どっかしら思い当たる節ありませんか?(怪談噺じゃありませんよ…)
そんな抽象的な話はともかくとして。
こんなにもねじけていて、屈折していた自分が、今こうしてロフトワークに登録して、イラストを掲載したブログをみんなに見てもらったりして楽しく過ごしていられるのは、やっぱりそれは自分一人では有り得なかったことで。。
恐らく、それも会社に行って、仕事をさせて貰えたお陰、だと思うのです。
はっ?と思う方もおられるかもしれませんが…(汗)。
でも、本当にそうなんですよ?
もともと世間的に全くの無能で、かろうじて少しばかりの絵を描くくらいしか出来ることが無かった自分にとって、そこ(仕事)で求められたのは、「自己と一切関わりのないものを、業務として描く」ことでした。
つまり、「自分のため」ではなく「他人(または会社)のもの」としての作品です。
これが私にとってはとても”気が楽”だった。
…なんて言うと、ちょっと怒られそうですが(汗)。でも、「自分」を表現するためではなく、自分の外側の「ある目的」をどうすればより効果的に表現できるか?と考えることは、何故だか、私にはいくらでも頑張って出来たんですよ。
その「外部的な目的」のためなら、必要とあれば誰にでも、いくらでも、製作途中の絵を見せてアドバイスをもらったり、より効果あるように修正したりも出来た。そこで言われることは「自分の」内面とは何ら関わりが無かったから。
それに、何より自分自身が楽しかった。
一見、他人からはどんなにちっぽけに見える仕事でも、「お陰でPV伸びたよ!」とか「あの連載けっこう人気だよ~」とか言ってもらえることが嬉しかったし。
もっともっと、みんなに喜んでもらいたいと思った。
それ以前に、ボランティア新聞で挿絵の真似事をしてた時もそうだったんですが。
例え「自分の中にある理想」とはかけ離れていても、それ(自分が作ったもの)を喜んでくれる人が、この世のどこかには居る可能性が、0%ではなく、確かに「有る」。
「この絵を描く自分」という存在を、ちゃんと喜んでくれる誰かが。
その時、自分が描いた絵は、別に「汚点」でも何でもなくて。
冷静に客観的に、一個の「作品」でいられるのです。
そう認めてくれる人が、そこにいるなら。
恐らく、自分の性質的に、そういった経験がどうしても一度は必要だったのですね。
徹底的に「自意識を離れて」山ほどの作品を作る、というステップが。
しかも、それをやることで結果的には、作る作品に「モトハシの」という個性、が付随してくるように自然となるらしいのだから不思議なもので…。
知り合いとかに仕事のサイトを教えても「一目でアナタのってわかるよ!」とか言ってもらえるようになりました。。(良いのか悪いのか少々微妙ですが…笑)
さらに言うと、そういうある種、完全に「自分を抑えた」作業を一度でも経たことで、却って自分の中では消しきれない”自分の世界”みたいなものがむくむくと育っている、ようでもある。仕事の絵の上でもそうだし…。
私個人について言うなら、多分、一枚のイラストでは言い足りないものがあって、それはいつかは続きものの一連のストーリーとして外に出すことなしには消化出来ないと感じている。
そういうことが、全く別のことをしているうちに、段々と自分の中でよりクリアになってくるのです。
とてもシンプルに「…ああ、描かなきゃな」と思う。
実際、間違いなく自分が「上手く」なった、とも思っています。(絵、だけでなくね…色々)
ここまでに書いた全てのことをやる以前、どれほど自分が「下手」だったか、知っているのはこの場では自分だけでしょうが、その私が言うんだから間違いない(笑)。
今は、自分の絵、あんまり嫌いじゃないですから。。
(たまたま他人とそれほど比べないで済んでいるからかも知れないけど…)
それどころか、このロフトワークで人に何かを聞かれて一所懸命になって教えてあげられる自分さえいる。
※例えばこういうことは↓
http://www.loftwork.com/user/9507/blog/31559/
たぶん、昔の自分では考えられなかったことなのです!(関係ご両名様、勝手に引用しちゃってゴメンなさい!マズかったら即・消しますのでいつでも言って下さい!!汗)でも、こうゆうのなんかちょっとイイよね?☆ロフトワーク万歳!
…これも、ちゃんと自分で調べたり、恥かいたりしながら得た自分の知識だから出来ることで。。
でも、それは全部が全部、仕事で”覚えたさせられた”訳じゃありませんでしたよ?
それどころか、私の今のPhotoshopとかIllustratorを使ったイラストを、最初は仕事では全く要求されていなかった。(むしろ普通にHTMLを覚えさせられる予定だったのだが。。爆)
始めに手で描いて認めてもらえたからか、後から頼まれるのも同じく手で描いたものばかりでした。(※つまり線画がピグマとかGペンとかで、着色はコピックというマーカー使用の、紙に描いて、スキャンした絵、ってことですね)
Illustratorに至ってはとうとう会社にいる間にまともに使えるようにならなかったし(笑)。…今だって怪しいもんですが。。
全て、いわゆる独習でした。(我流と言ったほうがいいかも?)
自分のすることを喜んでくれる「誰か」のためにするという、「外部的な目的」のために、表現の幅を広げたい、もっと多くのことが出来るようになりたい…そういう感情から、だったと思います。始めは。
いや…あの時点からもう「いずれは作家として」みたいなことも、少しは考えていたのか?
今はもうハッキリどっちだったかわかりませんが。。。
…誰かの御参考になれればと思い(なるのか!?汗)繰り返しのような気もしつつまた書いてみると☆
例えば「Photoshopで萌えCGイラストの描き方」(笑)みたいなイラスト教本とかを、全て自腹でドサッと何冊かいっぺんに購入する。
会社の方には仕事のためなんだから領収書持ってくれば?とか有り難くも言われましたが(涙)、ここは自腹が良いのです。逃げ道を無くす意味でも。。
本の選び方としては、あくまでも初心者を対象にした比較的丁寧な解説がありつつも、さらに上の、中級の上、くらいまでのスキルを含んでいるように見えるもの。
イラスト作例が多様で、実際の作業の進め方がなるべく具体的なもの。
さらにいうと、作例となったイラストの作者の個性が多少なりとわかるもの。
(こういう人がこういう絵を描くのか~、というのが意外と重要♪)
…それまで日常的に、ほとんど使ってないソフトですからね。
はじめは全く、一つも書いてある内容がわからない。解説してる用語がわからない。
それでもひたすら読む、というよりは、ページを眺め続ける。
夜寝る前には必ず1時間か2時間、とにかく意識がなくなるまでパラパラと、じーっと、眺める。
わからないなりに、何度も何度も何度も…ひたすら同じページを繰る。(何冊か)
そのうち、どこにどの内容(タイトルとか)が書いてあったか覚えて来ます。
次には、複数のページ、あるいは複数の本に共通して「頻出する用語」があることがどうやら分かって来て。(たとえばレイヤーとかブラシとかパスとか…レベル低っ)
さらに見ていると、おぼろげにその用語の意味が想像されて来る。
ここで初めて、実際のソフトに触って試してみる。で、まだ出来ない(笑)。
また夜、布団の中でじっくりその日に出来なかった(理解が足らなかった)部分を特に念入りに読む。
そうやってわかった範囲で、今度は作例イラストの作業手順を真似てみる。
…上手く行かない。。また本に戻る。
ああ、これはこういうことを言っているのか?と何となくわかってくる。このあたりまで来てようやく、ソフトの構造、みたいのが頭に入ってきます。
画像ソフトというのも、一種の「絵を描くための道具箱」のようなものですね。
その「道具箱」の中でどこに何が入っているのか?それを使って何が出来るのか?これらのことがすっかり頭に入るまでは、作業といっても実は何も出来ないのです。
パレットの上に並べられた絵の具の内容を理解していないような状態ですから。
※現在でも自分が全てを理解しているとは到底思えませんが。。
今では、つまり多少使えるようになった後から思えば、「目がある人間がどうしてこれらのパレットの上に一目瞭然に並んでいる絵の具を理解できないのか?」とさえ思いますが、恐らくそれが初めて扱う画材の難しさなんでしょうね。。
最初に油絵を描いた時、あまりの扱いにくさに、ワクワクとかより途方に暮れたことを思い出します。
(なんで油なんだ!?なんでテレピンとか何とか二種類あるんだ!?等々…)
そうやって、どうにかPhotoshopで自分のイラストを多少なりとも加工できるようになったら、機会をうかがって、自分に頼まれる仕事に「…あのう。実は自分、こんなんも出来るんですけど??」と、あくまでもバリエーションの一つとしてイラスト・サンプルを”そっ”とお出ししてみる。
それがまんまと(笑)評判よければ、早速本番となります。
もちろん、初めて「実戦」で使うんだから絶対上手く出来るとは限らない。
仕事という”納期”があることだから、間に合わなければ大変なことになります。
それでも、不思議と「やれる」という自信があった。
本当に、この場でそれが必要なことなのであれば、必ず、どうにかして今の自分はやり切るだろう…と。
何故ってそれは、「自分独りのために」していることでは無いのだから。
少なくとも他に一人(主に編集さんね)は、待っている人がいるから、やるのだから。
自分独りのために作っている間は、出来なくても困る人はいない。
「あ~もういいや」と自分が思ったら、それでおしまい。
でも、誰かが待っているとなれば、それを自分がやり遂げなければ、誰かがもの凄く「困る」ことになる。そういうプレッシャーが、自分のような我が儘な怠け者には必要だったのかも知れません。。
こんな風にして、同じように、Photoshopの次はIllustratorをまたほぼ独習で覚えて行きました。
アニメ調のイラストでフォトショを使う人は結構いると思うし、その意味で教本も見付けやすかったのですが、イラレとなると、これはかなりプロフェッショナル志向のソフトというか…ディープに使っているのって何らかの仕事で使用している、デザインとか編集の現場の人、くらいしか見当たりませんでしたので。。(ここロフトワークではイラレマスターの絵描きさん多いですけどね~♪)
でもまあ、ようやく見っけた「イラレで可愛い女の子イラストを描くための本(笑)」とかを、また同じようにダラダラと毎日、使うあてもなく眺め続け、数ヶ月(以上?)をかけて、一人で少しずつ覚えて行きました。
しかし、私は当時会社ではほぼ素材としてのイラスト専業で、文字のレイアウトとかは仕事では試しようがありません。(実際は何度かやらされたのですが、悉くボツでしたね。。笑)それに、WEBが主な会社だったので、印刷とかってほとんど無いし。
それで自分が「実戦」として選んだのは、「自分で印刷を発注する」という方法でした。
つまり、最近よくあるネット系中小印刷所の、例えば、始めは「名刺印刷」サービスとかを頼んでみるのです。自作のイラストを素材として、自分で一からデザインして。それもオフィスサービス系の店頭コピーとかで軽~く「何十枚」とかではダメで。
初めてなのに、いきなり発注「三百枚」。(爆)
…ほんっと無謀だな~アホだな~☆
失敗したらどうすんだよ??とか思いますよね。自分も思いました(笑)。
だから、極力・失敗できない。
失敗しても自分以外に困る人間がいないとはいえ、もしミスったら結構な金額を払った上に、三百枚ものクズ紙だけを受け取る羽目になります。そんなのはゴメンだ。。
だから、けっこう真面目に必死で(笑)。
コンテストとかと違って良いのはここで、コンテスト出品作だとどうしても「展示できるように」主催側で形式の手直しを要求してきたりするじゃないですか?親切に。
でも、小規模で格安とはいえ商業印刷だから、原則、お客さんの持ち込んだものをそのまま印刷・納品する。(誤字脱字・または例えハミ出てても一切手を加えない)
※格安ゆえに色校正戻しとかも無いので。。
…つまりどんなダメでもそのまま印刷されて、手元に戻ってくる。
ダメであれ良い出来であれ、そのままの完成形を、自分の眼でチェック出来ますから。
とはいえ最近のネット系格安印刷会社は、自分のようなド素人が利用するのが前提なので、とても親切なサイト作りになっています。データ入稿の仕方とかも、それこそ懇切丁寧にオンラインマニュアルで解説してくれてる。
そういうのを首っ引きで見つつ、名刺をもう一種類とか作ってみる。(前回の失敗点を教訓に)
その後はイベント用ハガキ、その後は同じくイベント用に出品する平綴じのB5本…と、少しずつグレードアップしながら(全て自費!ココ重要☆)「…え?解像度350dpi以上なきゃダメなの?…あ?配置画像jpegでなくepsとかいうので保存なの?」などとモタモタと、一つずつ学んでいくわけです。
さっき「自分以外に困る人間がいない」と言いましたが。
自分で製本するコピー誌ではなく、印刷所を頼んだ時点で、それは完全に「”誰か”にとっての仕事」になります。
つまり、”納期”もあり、「自分のせいで」ものすごく困る可能性のある相手(担当した人ね…)がいる。
だからなるべくならミスなくスムーズに済ませようと思う。(仕事の時のクセで)
それでいきおい真剣味も増すというわけです。。
この時、真剣であるというだけでなく、実はせいいっぱいの「背伸び」をしているのです。
自分の中にある「プロの印刷物ってこういうものだよな?」というイメージに、例え結果としては不完全であろうとも、その時点では極力近づこうと、あれやこれや努力をする。
出来ない中でも、出来る限りの全力を尽くそうとする。
それが「背伸び」ということで。
自分の作るものを「仕事」として考えていなかった頃には、これが無かった。
「…まぁ、いいよね?最高の出来じゃなくっても、別に。。(誰も困らないし)」
とか何とか、いつでもそうやってお茶を濁して、途中で投げ出していた気がする。
逆に言うと、だから「仕事」に出来てなかったのでしょうね。。。
よく昔の私は、世間に流通している色んな作品を見ては「自分の方が絶対・絵がウマイ!」とか不逞にも思ってたりしましたが(ホントに愚かですよね…汗)。
今なら多少、わかります。…あの頃の自分に最も、決定的に足りてなかったものが。
自分のいま抱えている作業を、とにもかくにも”完遂”することへの「責任感」。
完遂、というのは「やりとげる」ということの古い難しい言い方ですよ。。
これは完徹(完全に徹夜)の完、完璧の完、完投の完、完敗の完、…ようするに、「全て、まったく、全面的に」ということです。
…つまり、それをやり終えることについて「言い訳してはならない」という意味で。
一度「やる」と言って引き受けたら、全面的に「そこ」から逃げてはならない。
そういう場所へと、自らを進んで追い込んで行く。
現実に出来る・出来ないに関わらず、その時点では考えられる限りの「自分の全力」を尽くす。
仕事をするというのは、本来、そういうことなのでしょう。
だから、それをやることが「大人」への道筋になるのだろう、と…(もちろん色んな人いますけどね)。
自分以外の、他の誰かの為に、「逃げられなくなったこと」。
あるいは、自分を待っていてくれるであろう他の誰かの為に、自分にとっての「”背伸び”をするようになったこと」。
この二つのことが、確実に自分をこの短い間に、もの凄く、あらゆる意味で「成長」させてくれたと考えています。
それが生来怠惰な自分にとっては、どうしても必要だったのだ、とも思うし。
今はもう昔のことのような気がする―、自分がまるで”徒手空拳”といった感じに、空を仰いで、虚しく手を伸ばして、「あすこに届きたいんだけど…」と独り呟いて、夢見ていた場所というのがあるとして。
気が付いたら、そのすぐ近くに今の自分が居る。(つまり、何かの書類の職業の欄に”イラストレーター”と書いたりしている…どんなにちっぽけな事しか、まだやり遂げてはいなくても!)
それを何かしらの「成功」だとか、「夢を叶えた」だとかは、しかし、自分は微塵も思わないのだけれど。
…だって実感として、あまりにも未だ自分にとっては、全てが”道半ば・以前”であり過ぎるので。。
でも、確かに昔とは違う場所に、自分の足でこうして立っている。
そのことに微かに感動してたりもします。
(特に自分がじゃなく)人間という生物が、ちゃんと変わりつつ生きて行けるという事実に。
…きっと太古の昔、キリンの先祖にあたる生物が、他の動物と争うことが苦手なので、誰も届かない頭上高いところにある葉を食べて生きようと考えて、一生懸命に首を伸ばし続けていたら、いつしか本当に首がもの凄く長くなっていた…そんな風にも少しは似て。
「背伸びしていると、きっといつか本当に背が伸びるんだ」と、思いますよ。。
少なくとも自分は、これから先もそう信じています。
眼の先の、はるか霞んで見えるくらい遠くにある「あの場所」にも、いつかは辿り着けるのだと、そう信じて。
そうであれば、きっと歩き続けられる。孤独でも。