
都内のとある路地。
一見するとビルとビルに挟まれた隙間にしか見えない。
ダンボール箱だのエアコン室外機だのの間をすりぬけて入ると、まるで野良猫の通り道のような細い細い路地にでくわす。(路地から大通り側を振り返って撮影)
その「通り」(と呼べるなら)は、幅はせいぜい1メートルあるかないかで。
一応、大げさに街灯なんかもついているところを見ると、それなりに人通りが多いってことか。
みっしり建物に挟まれて、日が差し込む時間は一日全体で何分間くらいだろうか…?
風通しなんかはもとより望むべくも無い。
階段でわかるようにかなり低くなっている。雨の日には水が玄関先を流れるだろう。
当然だが、都会ではこんなところにも人は住んでいる。
若い男性だとすれば、出されるゴミはビッグサイズのカップめんの空き容器が多い。
(それ一個で、とりあえず一時の満腹感を得られるので)
年齢がもう少し上だと、これに酒類がよけいに加わる。野菜など切れ端も、無い。
(つまみ類が立派な食事だと思っているふしがある?)
住人が女の子だったとしても内実はそれほど変わらない。一年中部屋の中には洗濯物がいっぱい干されているだろうくらいで。
(外に干すと盗まれる、コインランドリーの乾燥機は高いから…)
ささやかな手取り収入のほとんどはそのまま右から左で家賃に消えてしまう。
そんなにしても都会に住むことにこだわり続けるのは、そこになら何とか「仕事」があるからだ。
「自分がいても良いかも…?」とすがりつける場所が。
まだまだ田舎になんか帰れない、と思う。
”故郷”と呼ぶべき場所が存在するとして、そこにあるのは「孤独」と「みじめさ」と「無為」だけ。
それすらも、今では何も無いかもしれない。
結局、”ここ”だって少しも「自分の場所」なんかじゃない、と知っている。
顎を突き出しながら一段ずつ階段を上がる。
路地を抜け、明るい大通りに出る。
一見、自分と同じくらいの年恰好の若者達が、楽しそうに笑ったり喋ったりしながら歩道を埋めつつひとつの方向へと流れて行く。
そこに、自分が混じってもひょっとしたら違和感無いんじゃないかと思う。
でも、やっぱり、何かが違う。
この連中は、きっと「今、財布の中にあるこの小銭だけであと一週間本当に生きられるだろうか…?」なんていう、ひりつくような胸の痛みなどは感じていないから。
もし感じていたら、こんなに能天気に馬鹿笑いなどできるはずがないし。
部屋には戻りたくない。息がつまるから。
せっかくたまの休日なのに、ほこり臭い人ごみの中にばかり行きたがる。
人に会うと金がかかるし、第一、まともに友人と呼べるようなものも多くない。
転々と短い周期で変わる職場での人間関係は、その都度リセットされてきた。
結局、七面倒な近況報告から始まらずに話せる相手など、この「自分」だけだ。
といってもそれは延々と将来の不安や淡い期待、裏切られた失望、愚痴と恨み言とがループしているだけで。
人ごみの中で見回して何度となく思うことは。
…いや、いっそ全てをこの手でぶち壊してしまえたら楽になれるだろうか?
自分の中で荒れ狂っている嵐と、外の世界とのバランスを取り戻せるだろうか…。
そんなことを考えるでもなく考えながら、気がつくともう日が傾いていて、明日もまた仕事に行かなければならない。
朝から晩までこき使われてもしょせんは「人件費」という分類を持った備品で、人間としての扱いも受けない仕事。
それでもちゃんと金がもらえるならまだマシだろう。
今月もまたどうにか食べられるだろうから。
外の世界で、自分と”対極”にあると思うもの。
ぬくもり。温かさ。
柔らかなもの。
人との信頼。
満ち足りているという感覚。(金でも食欲でも…)
誰かから大事にされ、守られている存在。
明るい未来があると信じること。
手に入れられないのなら、自分にはこれらを憎むという選択肢しか残されてない。
自分だって確かに人間なのだけど。
現状で人間らしさを求めるなら、惨めさのあまりそのまま自分が崩壊してしまう。
結局、ずっと欲しかったのは「自分が居てもいい」と思える場所。
たったそれだけのものが、どこまで行っても手に入らない…。
夕方、何もしてないのにぐったり疲れきって、また路地裏の部屋に帰って来る。
玄関先のゴミの山と、洗濯物に憂鬱に出迎えられる。
また、エンドレスに一週間が始まる。
※この文章は一部フィクションを含んでいます