
↑だから…(笑)いやでも今回はちょっとは関係あるかもよ記事と画像!?☆(水のんでるところ。。)
先日ブログ更新したばっかりで、「これでしばらくはいいんじゃん?」とか悠長なこと考えておったのですが。
ついさっき見た『日経スペシャル ガイアの夜明け』があまりに素晴らしかったので、言及せずにはおれなくなりましたとさ!
つうことでお暇な方、興味持って頂けた方は、しばしお付き合いを…(伏)。
番組内容は以下に引用致しますが。。
↓
6月3日放送
世界を救うニッポンの技術~企業が果たす社会貢献とは?~
http://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview080603.html
一応ざっくりと説明申し上げますと。
番組の中で二つの日本企業の活動が紹介されています。
■一方は、工学博士号を持った研究者出身の経営者が率いる「水浄化剤」メーカー。
この薬剤の凄いところは、なんと原料が「納豆のネバネバ物質と、カルシウムとかを混ぜて加工したもの」であるところ。
この白い粉末を汚染された水(工業廃水ですらも!)に入れてゆっくり良く掻き混ぜていくと…アラ不思議!浄化剤の成分が不純物と結びついて沈殿し、上澄みにはそのまま飲めるくらいキレイな水が出来るという。沈殿物も、仮に体内に入ってもほとんど無害なんだそうです!
一袋の浄化剤で約1トンの汚れた水を浄化できます。
経営者さんは自ら開発したこの浄化剤を持って海外、それもバングラデシュとかの水事情が極度に悪い地域に乗り込み、現地の人々にきれいな飲用水を提供しようとしています。最初はボランティアとして無償で、将来的には安くともちゃんとお金を取って、ビジネスとして、浄化剤を商品として普及させようと考えている。
そこの地域では地下水にヒ素が含まれる可能性があるらしく、しかもはっきり言って日本人には泥水にしか見えない池の濁った水を住民はそのまま生活に使っているのです。当然、伝染病にかかる人も大勢います。
今回は浄化剤を使ってヒ素とかは取り除けても、即飲用レベルには出来ないほど汚れた水なので、会長たちが「砂ろ過」という伝統的な方法を併用した水浄化装置を、そこらへんの市場で買ってきたポリ容器とか安いパイプとかを使って作り、住民たち自身にその装置できれいな水を作る方法を教えていました。(あまり良い部品を使うと夜中に盗られてたりするから…)
みんなで一日かけて(でも考えようによってはわずか一日です)作ったもの凄く透明な、きれいな水が、ずっと使われていなかった錆びた水道の蛇口から流れ出てきた時の子供や大人や、とにかく住民みんなの素晴らしい笑顔。最高でしたね。私、その場に全然いないわけですけども!(苦笑)
でも、ああいう光景って、本当に最高です。
水が出た後、住民たちは「でも私たちはとても貧乏なんだ。出来ればこの薬を今後もずっとタダでくれるわけには行かないか?」と熱心に訴えました。
それに対する会長の答えは。
「君達の苦労はわかるけれども、でも君達だって、たとえどんな少しでも頑張って、安全な水を手に入れるには対価が必要なんだと思わなければいけないんじゃないか」
「村人みんなで力を合わせて、一ヶ月50円だったら払えるか?(実は原価ギリ)」
と問いかけると、村人は「それはすごく安い!私らでも払えます!」と喜ぶ。
会社として今後も確実に浄化剤を継続して納入する事を約束し、帰国しました。
会長は最後にこうも言っていました。
「(企業としてではなく)ボランティアだけでは、きっと息切れしていた」
それも一つの現実だ。
良い事をするにも、人助けをするのにも、何にでも金がかかるのが世の中だから。
そして、それは別に悪いことばかりじゃない。
タダで何もかもしてもらう、与えてもらうことに慣れすぎた人間は、かえって自立からは遠ざかってしまう。”援助慣れ”という伝染病より恐ろしい心の病を生む。
どんなに小さくても自分たちで努力する、汗をかき、対価を払う、そうして得たものは本当に自分たちの身になる。それは自信になる。
人間が生きていくために必要なもの。安全な「水」、「食料」、そして「誇り」。
■もう一方は、20年近くかけて開発した「蚊が止まるだけで死ぬスーパー蚊帳」をアフリカなど熱帯地方で広めて、恐ろしい伝染病マラリアから子供たちを守ろうと活動している大手化学メーカーの素材研究所。
この会社ではアフリカに現地法人を作り、そこで現地の人を雇用して現地工場で蚊帳を大量生産し、出来た製品をユニセフに売って(効果が認められて推奨品に認定された)、購入したユニセフがマラリアに苦しむ途上国に無償で寄付する…という形で製品を必要な全ての地域に広範に普及させようという壮大な計画なのです。
こちらのスーパー蚊帳、マジでもの凄いですよ!(奮)
蚊帳の糸一本一本に特殊なやり方で殺虫剤が染み込ませてあって、その糸をこれまた日本の高い技術で丈夫に織り上げて、たとえ蚊帳のどこかに穴とかが開いていても、蚊はその穴を探す前に蚊帳表面に足をかけた瞬間に「あ~…」って感じに落っこちて即・死亡という!実験室で1分もしないうちに蚊帳の周囲が蚊の死骸で埋め尽くされた光景は圧巻という他ありませんでした!
しかも殺虫効果は五年間も持続するという。超お得~。。
実際にそのスーパー蚊帳を数年前に全戸に配布したというタンザニアのある村を訪ねると、家々には当たり前のように青い蚊帳がベッドの上に吊られ(一部洗濯物?がのってたりもしましたが。。笑)、生活に欠かせないものになっているようでした。
マラリアの危険から解放された子供たちは身を入れて勉強することも出来るようになり、(おそらく乳児の死亡率も下がったでしょう)なんと、まわりの蚊の数そのものが激減したというのです!そりゃ触っただけで死ぬんじゃたまらんわね蚊も…☆
また、製品を現地工場で、「アフリカ人による、アフリカ人のための」蚊帳を生産することで、周辺地域の住民はそれまで一度も企業で働いたことなどなかったのが、雇用され、給与が出て、生活も教育水準も向上…という非常に良い循環が生まれているようなのです。
しかもこの事業は無償のボランティアとかではなく、ちゃんとユニセフという団体が製品を「購入する」という立派に経済活動として成り立っているところが良いです。
(実際には一個5ドルという値段は結構安いのかもしれませんが)
この現地法人を率いるたった一人の日本人という方は、かつては青年海外協力隊で活動した経歴を持ち、その後、大手化学メーカーに入社して今はアフリカで日本生まれの蚊帳を生産・普及する活動をしている。
自らもマラリアにかかって苦しんだ経験があるというその方の、
「この蚊帳であなたたちはマラリアから解放されるんです。もう安心です」
という、現地の人に向けて蚊帳の効用を説明する英語は、かなり日本人くさいカタカナ英語っぽく(…すいません。汗)はあったけれども。
でも、凄く力強かった。たぶん言葉わかんなくても、その情熱は通じてた。
特に赤ん坊を抱いた現地のお母さん達とかには。
それに、ありえないほど澄んだキレイな目をしてはしゃぎ回る、あの子供たちにも。
…もう大分以前になりますが。
船に乗って熱帯地方に向かってた時、「マラリア予防薬」という、ものっスゴイ勢いで強烈な胸焼けを誘発する地獄のような薬を2週間近く飲まされました。。
しかも、アレを飲んでいる時にちょっとでも海が荒れたりしようものなら…(酔)。
二度とアノ薬を飲んで船に乗るのだけは!そのくらいなら寄港地で現地人になる!という奴まで現れるくらい(?)とにかくヒドイ薬でしたが。
でも、結果的にあの薬は、私たちのんきな日本人に間接的にせよ「マラリアの恐怖」を教えてくれていた気がします。
それだけ多くの人を殺す危険な病気だということです。
あのメチャクチャな殺人的な副作用が看過されるくらいに!(愕然)
恐るべしラ○アム(薬の名前)…じゃなかった、マラリア。。
そして日本の外には、こんな事例が山ほどある。
あ~。
それにしても、どうして貧しい途上国の、苦しい環境に生きている子供たちは、あんなにもキレイな純粋な目をしているのだろうか?
なんか「目をキレイにする物質」でも分泌されてるんだろうか?
とか疑いつつ、しかし我々も、かつてのまだ貧しかった頃の日本には全く同じような澄んだ目をしたハナタレたちがいっぱいいたことを、土門拳の写真とかで知ってる。
あれだろうか?
人間は、豊かになっちゃダメってことですか??
生活が豊かになる=怠惰になる=堕落する=ろくでもない不平不満ばかり言い出す
…じゃあ、あの途上国の子供たちの目も、豊かさを手に入れたら、たちまちどんより濁ってしまうのだろうか?あんなにキラキラしなくなる?
塾や習い事に追われ、外で遊ばないために筋力が衰えてまっすぐ走ることも出来ず、携帯画面の見過ぎで視力は低下し、親のことも教師のことも内心では軽蔑して、仲良しグループの友人同士は疑心暗鬼になり、学ぶ喜びも、目指したい職業も何も無く、うわべだけの恋愛を必死で追いかけ、将来に希望は何一つ持てず…。
そんな絶望とシニカルに満ちた無気力な目を、あの子らも持つようになるのか?
それは嘘だろう。
そんなはずはないだろう。
だって、それじゃあんまり救いが無さ過ぎる…。
途上国や、先進国でも最下層の、スラムに暮らしている移民とかは、みんないつかは「人並みの暮らし」が出来るように、豊かになりたいと心底願っている。
世界の大部分は、いまでも本当にわずかなお金で、毎日どうにか食っている。
(あるいは食えずに死んだり、生きていても犯罪に走ったりしている)
その人達の”憧れ”なんですよ。私たち「先進国」の人間は。
なのに、その我々が「幸せ」でいられなくて一体どうするというのですか!?
内戦や疫病や栄養失調で集落の人がみんな死んでしまうこともない。
露天で、乳児の眼球をハエが這い回るような場所に暮らしてもいない。
不気味な赤茶色の膜がうっすら張ったような泥水を、そのまま飲まないでも済む。
小学校にすら行かせてもらえずに過酷な農作業に駆り出されている訳でもない。
毎日、肉でも菓子でも食べたいものだけ食べて、好きなだけ服を買い、テレビもパソコンもゲームも、全部自分一人の部屋にそろっている。
それでも、みんなが「幸せ」というには程遠い。
これは、一体どうしたことですか?
我々は何を間違えてしまったのでしょうか?
どこで、いつから「物質的に豊かになった人間は精神の飢餓に襲われるものである」
なんていう皮肉な逆説を身につけるに至ったのだろう。我々現代人は…。
本当に、そんなあり方しか存在しないのでしょうか?
そんなにも憐れな生きものなのでしょうか?人間ってヤツは…。
こんな底無しの井戸のように絶望的に深い「問い」に対する、大げさに言えば一つの答えを、これらの企業を代表するそれぞれの個人が示してくれている…ようにも私には思えるのです。
特に、「慈善」じゃなくれっきとした「経済」の活動である、というところが。
だって、「経済」というからには「売る方」と「買う方」がいて、両者の間の関係性というのは基本的に「対等」であるはず、ですよね。
そこにはコミュニケーションも、尊敬だってあり得るはずだから…。
金も、技術も、思想ですら、それを用いる側の「理性」一つで毒にも薬にもなりえるものです。
価値の多くは相対的なもので、常に揺れ動き入れ替わる宿命を持っている。
「幸福感」というやつも、そう。
それでも、ずっと変わらない価値というものもきっとある。
私たちの誰しも中に一番最初からあって、いつでも取り出して分け合えるもの。
そう、それは私たち次第で、いつでも此処に。