
今日はちょっぴりツライお話をしなければなりません。(…で、あのイラストか!?失笑)
ここLwにはイラストを描かれる方が多分一番多いと思うので、きっと色々ご参考になれることもあるのではないかと考えたからです。
私は現在、某情報サイトで、SEの裏話的なものと、海外ゲーム事情リサーチ的な(たまたま、どっちも著者さん女性です…)連載コラムにつける挿絵イラストのお仕事を、もう一年以上担当させていただいてます。
(他にもありますが今回はそっちは置いといて…)
幸いなことに、どっちも結構なPV(ページビュー:テレビの視聴率みたいな数字ですね)を稼いでおり、いずれのコーナーでもある種「看板記事」(自分で書くと何か嫌なやつですが。苦笑)みたいになっています。
…実は、そのどちらの連載とも、それはもうこっぴどく批判されたネット上の匿名の書き込みを見つけてしまったことがありまして…そのことについてなんですが。。
どーしても言わずにいられないので恐る恐る?書いてみることにします。
※ちょっと長いからいっぺんに読まなくてもいいと思います~(汗)
私がそれらの連載をイラストの形で担当する事になったのは、まったくの偶然です。
たまたまその企画が立ち上がった時に私がその”近所”にいて「やってみる?」と言われた時に「ハイ」と答えることができて、その結果イラストを描いて、それが最初の一回目でダメ出しされて取替えられずにすんだ…たったそれだけのことでした。
私がイラストレーターとして特別に「システムやゲームのことに詳しかったから」でもなく、ましてや私が「日本で一番絵が巧かったから」なんてことでも全然ない。
著者さん方とも、編集者さん方でさえ最初から全く面識はありませんでした。
本当に、たまたま私、だったのです。幸運だったとは、確かに言えると思います。
あと、仮に言えるとしたらですが…「ハイ」と答えた時の多少の”勇気”、かな?
そうやって始まりは何の必然性もない偶発的な出会いかたでしたが、それでも、自慢とかではなく客観的な事実として、ここまでそれらの連載が続いて来たのは「偶然だけではない」と、(いささか不遜ながらも)思っています。
著者さん方も編集者さん方も、そして私も、やっぱり相応の努力はしましたから…。
私に限って言えば、最初は全っったく、システムのことも、ゲーム(まして海外の)のこともなあ~んにも知りませんでした。。。
連載が始まった時点で、私は初めてまともに扱うパソコンや、会社支給品として初めて触るPhotoshop等の画像処理ソフトや、画像ファイルをメールに添付する方法…その程度をようやく知り始めたくらいのもので、ほんとにこういう仕事をやる人間としては驚くべき低レベルさ加減(笑)でした。。
そんな状態なので、まずいただいた原稿の「このタイトルに使われてる用語がわからん…」な感じでしたね。真面目な話…(遠い目)。
本文を一行読み進んでは、これも人から教えてもらったばかりの”ぐうぐる”であっちゃこっちゃ探しまくり調べまくり、どうにかコレのことかな?と浅い理解に至ってから、また次の一行で”ぐうぐる”のお世話になる…延々その繰り返しです。
それはほとんど古代文字を解読する考古学者のような途方も無さで(爆)。
※あの当時は真顔で「HTEL(誤)」とか間違って読んで「いや、HTMLだから」ってこれまた真顔で訂正されたりしてましたからね。。(落)
そうやって四苦八苦しながら記事を読み、でも、イラストに起こすためにはそれらを通り一遍に「読んだ」だけではなく「理解」しなければなりません。でないと「この話のどこが面白いのか?」や、「どこを、どんな風に絵にするべきなのか?」が皆目わからないからです。しかも、記事掲載までの時間は無限にある訳ではない…。
焦りつつ、でもその時の自分に出来うる限りの努力はしたつもりです。
それが出来たのは、とても記事自体が「面白かったから」です。
業界のことがわからない私なりに「面白い」「もっと読みたい」という気にさせてくれたのは、恐らく、それぞれの著者さんに自分が長年いた世界への非常に強い愛情があって、このような世界があることを一人でも多くの人に知ってほしい、それによってもっと正しく評価され、より良い業界になってほしい…そんな熱い思いみたいのが行間から読み取れたせいだと思いました。
だって、本名とか正体をさらしてものを言うというのは勇気のいることですから。
その情熱みたいなものに、私も共感出来たというか。
また、自分が全く知らなかった広い世界を勉強させてくれると言う意味でも、それらの「むつかしい記事」に深く感謝するように段々となっていましたので。。
ある意味、自分を育ててくれた「恩人」のような…。
だから、私はこう考えました。
「この素晴らしい熱意のこもった記事が、これを受け取るべき一人でも多くの読者の目に正しく届くように、その為に最善を尽くすのが挿絵としての自分の仕事だ」と。
つまり、”どんな手を使って”でも、「どれだけ目立てるか」が自分の勝負所だと。
それから私は「自分がこう見られたい」イラストではなく、純粋にその記事がより人目を引き、読んでもらえるような「この記事はこう見られるべきであろう」イラストを心がけるようになりました。(たぶん、私のイラストの作風がめちゃくちゃ幅広く(?)規則性が無いのは、このようにそれぞれの記事内容に合わせてカメレオン的に変化してきた結果ではないかと思います…笑。)
キャラにちょっとセクシーなポーズをとらせたり、出てくる女性の顔がだんだん可愛らしくなってきたのもそのへんの関係でしょう。
それらの努力を別に「いやしい…」とか「読者に媚びてる…」とか思わずに出来たんですね私は。誰かひとの為になら。
極端な場合、やりすぎて著者さん自身に不快感を与えることすらあったようです。。
「私こんなひとじゃないんだけど…」みたいに。あくまでも私は「記事のために」のみ考え、行動してましたから…(その節は本当にすいませんでした!泣)。
こうした地味な努力の甲斐あってか、連載は少しずつ人気が出てきました。
正直なところ、著者さんも編集者さんも、誰一人これらの連載が「5回以上続くとは思ってなかった」そうです…(笑)。あと、たぶん私も。。。
でも、私個人に関しては「多くの人に読ませよう、なんとか人気出してやろう」と思って努力してきたわけなので、ランキングで掲載された記事が上位に来たりするのを見るのは素直に嬉しかったですね。見ろ!やったぜ☆という感じ。。
しかし、人気が出てくるというのは単純に嬉しい事だけでは済まないのですね。
人気が出る、ということは、多くの人の目に触れるページということですから、そうなると当然のようにそこへは色々と「広告案件」が絡んでくるようになります。
難しいし微妙な分野なので詳しくお話は出来ませんが(て言うか私にもよくはわかりませんのでね)、広告が絡むと、必然的に記事がある”使命”を帯びてきます。
つまり「クリックされ(読まれ)たらいいな」というレベルから、「絶対に(この数は)クリックさせ(読まれても読まれなくても!)なければならない」という話になってくるのです。(成果保障とかいうのかな??←素人。笑)
広告というのは、多くの場合、クライアント(依頼主)様とそういう”約束”を結んでいて、その内容によって受注のお値段が非常に大きく変わってくるものだからです。(…らしい。。←素人。続笑)
※会社対会社の間でやりとりされる金額は、個人間のそれよりはケタが二つか三つ、あるいはそれ以上に大きくなることをここでは理解しておいて下さい。
5回続けば良い方だね~♪で始まったはずのどマイナーな連載が、いつしか「絶対にある程度のPVを狙える企画」として、目玉商品みたいになっていたらしいのです。
そのことをいつの時点で自分が知ったのかは定かでありませんが、恐らく編集者さんや著者さんのほうが、ずっと先、だったと思います。
掲載周期とかを決めるのは私には全然関係ない次元のことなので。
ある時点から、そういう緊迫感みたいのがちょっとずつ彼らにはあったみたいですね…。私がなんも考えずにアホなイラスト描いてる時にも。。(笑)
ネット上の画面で記事が読まれるためには、ニュースページなんかを思い浮かべてもらえればわかると思うのですが、パッと人目をひくアイコンだけでなく、記事自体の「タイトル」もとても重要になってきます。
キャッチーであるとか、検索にひっかかりやすい単語を入れるとか、あるいは短い文でいかにその内容を濃密に伝えられるか。
しかも、多くの場合ネットでは(特にニュースなんか)センセーショナルな語句が多用されます。というのはわずかな画像をのぞいては完全に文字情報だけの世界なので、そうやってイメージを喚起しやすい言葉をバンと出さないと埋没してしまうのですね…。
ニュースなんかでも残虐性を匂わせるタイトルが(たとえ中身がどうってことなくても)いっぱいクリックされランキング上位に来るのも同じだと考えます。
「より多くのクリックを稼ぐ」という”使命”を帯びてから、我々の記事のタイトルも、やな言い方ですが多少「ウケ狙い」な傾向が強くなったかもしれません。
同時に、著者さん達には「書き続ける」という、別の苦労もありました。
これらのコラムの性質上、自分の個人的な体験を元に色々書いていらっしゃるわけで、その体験というのは当然のことながら”無限”ではないですから。。
常にネタ切れの不安と戦っているはずです。
私のところに次回の掲載予定の話があってから、実際に記事が来るまでの期間によって、その苦労の程が作業的に”川下”の私にも手に取るようにわかりましたから。
時には体調が悪かったり、私生活で忙しかったりしても、それでも頑張って頑張って毎回記事を書いて下さっていたのです。
何の為にかといえば、記事を読んでくれる読者さんたちの為に、です。
(もちろん原稿料という報酬は多少はありますが…でも意外と安いらしい??苦笑)
私だって、そのために何度も残業したり時には徹夜したりもしましたし。
楽しみにしてくれている人がいると思えばこそ、頑張れたのです…。
ちょうどこの頃からでした。
ネット上で連載のタイトルを検索してみて(よせばいいのにね…涙)、かなりの頻度で、記事や著者さん(たまに編集のことまで)を名前を出して痛烈に批判した、匿名の書き込みを見つけるようになったのは。
専門用語を連発しては「あの回のあすこはおかしい、ここはダメ」とか、まるで姑がヨメをいびってるみたいで(笑)、酷いのでは「こいつ(著者の名前)早く死んでくれねえかなw」なんて事まで書いてある!(怒)
…確かに、指摘された部分は専門的には間違っていて、後日編集部が訂正文を載せたりもしたし、また著者さんも分野によっては知識不足だったり、言い方が足りないところがあったのは私も知ってます…。
でも、「死んでくれねえかなw」まで言うっ?!
かなりショックでしたね~。
こんなに頑張ってるのに、少しも伝わらないこともあるんだなって。。。
私のことではないけど、本当に悔しかったです。。
いや、むしろ無記名のイラスト(ええ、名前出てないんですわ。笑)ということで、こういう批判からどっか距離を取っていられる(作り手にとっての作品というのは完全に「自分の一部」でありながら)、この著者さんが「そう見えた」としたら、それは私のせいでもあるのに、現実には全くの「無責任」であり、「無罪」みたいな自分の立ち位置が無性に悲しく、また虚しくもありました…。
でも、本当につらいのは、それでも「連載は続けなければならない」ってことで。
そんな人格攻撃みたいなヒドイ書き込みを見つけて、すっごく心が傷ついてるのに、それでも同じようなハイテンションの記事を書き続けなければならない著者さん達。
またボロカスに言われるのが目に見えていることを、相も変わらずやり続ける。
…それが、自分の引き受けた仕事だからです。
もっと時間があれば、きっと色んなことを正確に調べられるのに。
本当はこんな風に面白おかしく書くようなことじゃないのに。
私より詳しい人なんて、いくらでもいるって知ってるのに。
書くことで誰かに迷惑を掛けているかもしれないのに。
…ほんとの私は、こんなキャラとは違うのに…。
きっと、そんな風に自問自答しながら。
批判するのは簡単でしょう。まして匿名なら、尚更。
でも、そういう人たちにほんの少しだけ考えて見て欲しいのは…。
この世に「全てを完璧に持っている人」なんているんでしょうか?
システムに関する知識が多少足りなかったかもしれない。では、それを「俺が世界で一番だ」と言い切れるくらいの人が仮にいたとして、その人にはどこかしらのメディアの編集部の人間との接点が”必ず”あるのでしょうか?編集者、ひいては読者とのコミュニケーションを通じて、連載を好評に続けて行くだけの「外界へ開かれた人間性」が備わっているでしょうか?(執筆だからといって机の前だけに座っていればいい、コミュニケーション力なんて必要ないと考えるのは大きな間違いです!)また、これも非常に大事なんですが、サーバだのシステムだのといったかなり無味乾燥な話でも、読む人を楽しませる「ユーモア」という能力がちゃんとあるでしょうか?
海外ゲーム業界のことを面白おかしく語る、その口調(やや軽薄な)や態度が許せない。では、まったく品行方正な、語学的にも正確無比な言葉を使う大学教授のような人が、その記事を執筆したとして、それは果たして不特定多数の(多くの場合若い)読者に面白く読まれ得るのでしょうか?あなたが、それを読もうと思いますか?英語表記の会社名だの、ゲーム用プログラム言語だの、決算だの収支だの損益分岐だの、そんな話をですよ?!速攻ねむくなる自信ありますね~私なら。。かつ、それらの情報を直接、関係者から取材という形で取ってくる、これもその人固有の息長い人脈であり、語学も含めた高いコミュニケーション能力のたまものです。
それらは誰にでも簡単に持てる類のものでしょうか?
百歩、いや千歩譲っても、他に似たようなことを誰もやっていなかった、「そのことに一歩を新しく踏み出した」その”勇気”だけは、正当に認めて欲しいのです。
だってそのお陰であなた方は「批判するという楽しみ」を得ているじゃないですか。
その記事は誰も書く人間がいなくても勝手にどこかから生えて来た物ではない。
頑張って、足や手や頭を使って、ネタを集めて、書いた人がいるから読めるんです。
尊敬しろとまでは言わない…だからせめて「死ね」とか言わないで下さい…。
私からのささやかなお願いです。。
記事に出てくる著者の性格が悪い、やってることはイジメだ、とかいう意見が書き込みにあるのも見かけました。
でも、そこから読み取れることってやはりあると思うのですよ。
私はこの仕事をする前に工場とかコンビニとかスーパーとかうどん屋とか、いろんなお仕事をしたのでわかる部分もあるのですが。。
「色んな意味で”キツイ”仕事の現場ほど”人間性”なんかは問題じゃなくなる」
…という、この世の中のある一面の真実です。
だってそうじゃないですか?
自分が今日ここまで終わらせようと思ってた仕事があるとして、それがひょっこり現れた誰か新しい人員とかのせいで予定を狂わされたとしたらどうでしょう?
ムカつきますよね人間なら、普通。
いや、ムカつくとかのレベルでは済まされないですね。
会社単位で考えた時、ある部署が予定の納期をこなせないということは極めて重大な結果を招く可能性があるのです。他社との契約違反になるかもしれないし、新商品の投入の時期が遅れることで見込んでいた大きな利益を逃がすかもしれない。
だからこそ、上にいる(プランを作る側に近い)人ほど、その下で働く人を追いたてざるを得ず、そうやって追い立てられる側は、自分らの進捗を乱す、さらに下(多くは教育される以前の新人)を追いたて、場合によってはイジメたりもする。
※あ、私の知ってる著者さんがイジメをやってたというわけではないですよ~!
その職場に来たばっかりで全部を最初から完璧にできる人なんかいる訳もないのに、(かつて自分も新人だったのだから)わかっているはずなのに、出来ない人を憎むしかないのです。みんな、そうしないと「自分を」守れないから…。
工場のラインでは、そのスピードにしばらくたっても順応出来ない人は容赦なくはじき出されます。大声で「この人使えないよ~!」とか言われて。
それはイジメでも何でもなくただの”事実”であり、その場の全員が「正しい」と理解するのです。その人が出来るようになるまで待つ時間など無く、その必要も無い。
「感じの良い人」も、「優しい人」も、そこでは何ら意味を持たないのです。
機械じみたスピード、順応性、応用力、理解力、さらにいえば、根性…それだけ。
会社とか組織ってそういう”非情な”ものだと思うのです。
それが「仕事」なのです。
記事の内容に反応し、批判した人達も、どっかで覚えがあるから反応したんでは?
当事者として「上」だったか、あるいは「下」としてかは存じませんが。。
でも、現場に近いその人達が反応したってことは、やはり、記事の内容が現場の嫌な面を、少しは言い当てていたということなんだと私は思うのです。
だとしたら、本当にヒドイのは、記事を書いた著者さんではなく、様々な現場で個人にそれを強いている、余裕の無い日本の企業社会のありかた、なのではないか?
そのことをこそ、著者さんは記事で伝えたかったのではないか…?
私だって、連載を担当するうちに結構その世界のこと色々勉強して、例えば「責任感も学習意欲も高い優秀な人材が何故、途中で業界を去らなくてはならないのか?」とか、「こんなに頑張って世の中を陰ながら支えているシステム管理者が冷遇されているのはどうしてなのか?」とか変な言い方ですが義憤にかられたりしましたもん。
現代の、私たちのこの社会には、正されるべき多くの重大な「欠陥」がある。
どんな世界でも現場の人だけがそれを知っている。
そして多くの場合、本当に現場の最前線にいる人達というのは、(時間的にもその他の理由でも)自分たちのことを外部に伝える術を持っていない…ということも。
だから、著者さんたちが代わりにそれを言おうとしてくれてるんじゃないですか。
それなのに「死ねばいいのにw」とは何ですかー??(呆)
自分のことならガマンも覚えたかもしれませんが、自分のことじゃないから尚更、黙って見過ごすことなんて出来ませんし、しませんよ私は!(奮)
あなた方みんなの”幸福”のために、我々は頑張っているんですから!!!
「よけいなことだ」と思われるのは自由だし。
わかってくれなくてもいい。
共感も応援もする気になれないなら、素通りしてくれて全然構わない。
ただ、頑張ってる人がいることだけば、どっかで認めてあげて欲しいのです。
そうでなければ、あの人たちが捧げてきた「時間」と「努力」と「勇気」が、ちっとも”浮かばれない”と思うから…。
はたから見れば、面白おかしくテキトーに書き散らしてるだけの連載にも見えているのかも知れませんが。
書き手の側はそれこそ、自分の心血を注いで、我が身を削る思いで、それを書き続けているのだということを、少なくともこの私だけは知っているのです。
(あと徹夜して原稿待ってる編集さんもね。。)
だから自分に言われた悪口でなくとも、私にはここまで言う”必然性”があるのです。
それはまぎれもなく「私の仕事」でもあるのだから。
何か他者の作品にイラストをつけるとか、デザインという形で製品の最終的な局面に携わるということは、そのようにとても重い行為であるのです。
関わった全ての人の思いを、背負うことになるからです。
イラストやデザインのお仕事をしたい、と思っている学生とかの若い皆さんも、頭の片隅にでも置いといていただければ、将来きっと「ああ、こういうことか…」と思われることでしょう。
そしてそれが皆さんの”勇気”にも、ちょっとでも助けになれれば幸いです。。
最後になりますが、せっかく読んでくれた方々の利益に少しでもなるように、私がお勉強の為に拝見している別のもっと立派な方のブログから抜粋して一文を載せてみたいと思います。↓ほんと、いいこと言ってるなぁ…て感じなので。
『(中略)…勇気を伴わない知識は飾りで、知識なき勇気は危険。
勇気が知識を広げ、知識が勇気を後押しします。
全体性と主体性、知識と勇気が、相互に連関して螺旋を描いて拡張するメカニズムを理解すれば、萎縮することなく伸長に向かって戦略的に進行できると思われます。
とすれば最初の一歩は、微かな知識と一握りの勇気で充分と云えます。』
萎縮からの脱却「武田隆のCGMに進路を取れ」
今回、お話したかったことは以上です。
ご静聴?有り難うございました☆
(長くてゴメンなさい。。。)