写真家
DaisukeTokita
現在、東京医科歯科大学にて歯医者さんになるため勉強中。
私は写真を手段と定義したい。
絵画などと違って、写真は集合写真などの記録目的、スナップ、デジカメや携帯写真などの、日常の用途としても使われる。これらは写真の持っている記録保存という特性を手段として用いたものだ。また、多くの雑誌や広告に見られる商業写真は、現実を異化させるという、
自動化からの枠付けをする特性を手段として用いたものだ。そして異化の際に必要なことが写真技術である。つまり撮影者の意思の方向(ベクトルの方向)により使い方が異なる。
私は、精神内面への装飾に写真を用いたいのである。
時間軸は、有名なところだと、生物的(いわゆる人間時計)時間軸と、物理的(時計が刻む)時間軸がある。
いまは簡単のために、物理的(均質な、モデル化しやすい)時間軸を用いて考える。
写真を撮るとき、それは1000分の1秒だったり、90分の1秒という、ごく微少な時間を物理的時間軸(x)上では示す。この時間軸を用いて、垂直に軸を置き平面を作る。その垂直軸(y)はなんでもいい。やさしさやかなしさなど、とてもことばに収まらなかったり、固まりきらない、うやむやな、わかりやすくいえば、感情の変化を表すメモリだと思ってもらえばいい。すると時間が変化するにつれて、感情は変化(xが動くにつれてyも変化)していき、一種の関数となる。
このとき写真は、
時間軸上の微小時間(すなわちシャッターを切る)において切り取る、すなわち感情の微分(dy/dxに相当)という特性を発揮する。
(逆に積分は映像である。映画が内容によってジャンルわけされるのは、多くの観客が映像を見て、内容によって似た感情変化を起こすことにある)
微分(=傾き)の違いは右に示す。
2枚の写真を同じ場所で撮ったのだが、感覚としては丸と四角を覚えないだろうか。また微分機能は、この微小時間付近の感情変化を想像させることがある。(ちなみに、人が死ぬ瞬間などの感情不連続点は微分不可能ゆえに撮影不可能、、、、なのかも)
実際は人間であるから、メトロノーム(物理的)に合わせて必死にピアノを合わせる(生物学的)子供のように、こんな単純化はできないが、イメージ化の点で有用ではなかろうか。
この特性を使い、撮影者の意識ベクトルを
内向的自己の状態で理想化したものを形象化すれば良いのだ。
では撮影者の意識ベクトルの内向化を具体化しておく。
写真に見られる2通りの方向性がある。
それも内向性と外向性だ。どちらとも取れる写真もあることも記しておく。もっと具体化して、あるモデルを撮るときに、その撮影者は2タイプいる。モデルに指示をする人とモデルに自由にしてもらう人と。前者は表現したいものがすべて自己のうちにある、すなわち撮影者の意図の染み入った写真を撮り(内向性)、後者はモデルの魅力を引き出す、撮影者の意図の入らない(ある意味自由な)写真、言い換えれば、限りなく外向きの意識を、自己意識の薄くなるまで引き延ばしたあたり(外向ベクトルの限界付近)で写真を撮る(外向性)。上に挙げた商業写真や記録写真(ちなみに鉄道写真もね)は、この基準でいえば、外向性に入るだろう。すなわち撮影者の意図がなく、商業写真などは購買意欲をかきたて、読者の意識にあわせる、といったことからわかる。

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