
9月6日から9月8日まで屋久島旅行に行ってました。
予想していた以上の素晴らしい自然が広がっていました。
屋久島の自然の印象ですが、そこに生息する植物全てが、
「自分が一番になってやろうっ!」という気持ちで、
互いに道を譲りあうことなく激しくぶつかり合い、
成長している感じでした。
さらに、その激しい戦いに勝った者、
また深く傷ついた者が、屋久島の「美」の称号を得ている
そんな印象がありました。
旅行の2日目には、縄文杉を観に行ったのですが、
イメージしていた感動とは異なるものでした。
というのも、僕がはじめ抱いていたイメージは、
「木」の王として、屋久島で最も大きく偉大な存在というものでした。
しかし、目の前に現れた縄文杉は、
「木」というジャンルに当てはまるものではなく、
「縄文杉」としてそこに存在し、神の宿った神秘的な何かという
そんな印象で、感動とは違い、呆気にとられた感じでした。
縄文杉までに観てきた、「仏陀杉」や「大王杉」などの巨木は、
「木」のジャンルとして、自然の偉大さや神秘を感じ、
感動することが出来たのですが、縄文杉は正直、
何がなんだか分からないと言った方が正しいのかもしれません。
そして、3日目は、
「もののけ姫の森」を抜け、「太鼓岩」に向かうルートを進みました。
この「太鼓岩」からの眺望がまた素晴らしいもので、
「縄文杉」の未知との遭遇とは違い、眼前に屋久島の広大な森が
広がり、悩むことなく素直に感動できるものでした。
やはり、自分のある程度イメージした感動に近いものほど
素直に感動できるんだと実感できた瞬間でもありました。
このように、3日間登山に費やし、屋久島の自然を満喫してきたのですが、
家に帰ってきて「アートとは一体なんなのか?」ということを
考えてみたくなりました。
で、そのときふと思ったことを書いてみたいと思います。
アートとは「その場にあってはならないモノ」を指す。
自然と人間が対峙しあった頃からアートは始まったのではないのか?
本来、人間は自然の素材を使う「技巧」を通し、自然と人間は一つであった。
しかし、技巧を芸術(アート)と懐けそれ自体が商業的な意味を持つにつれ、
自然と人間との間に「亀裂」が生じ始めた。
そして、その「亀裂」がアート作品の決め手となり、
不本意な付加価値へと変貌している。
その付加価値は流行により入れ替わる
自然から離れ、本質の分からない人間の
所有欲と先端欲を満たす不可解な上級財マーケットへと繋がる。
というのが、そのとき思ったものでした。
ちょっとアートの市場に重点が置かれた考えになってしまいましたが、
そんなことを考えさせてくれる切欠などを作ってくれた屋久島には
ホント感謝しています。
皆様も是非屋久島に行ってみることをオススメします。