サルバドール・ダリと岡本太郎の似顔絵を描いてみました。


似顔絵の練習と同時に技法や精神に触れてみようという無謀な試みです。
今、似顔絵における「誇張」の意義を考えています。
実際に目で見る姿と、目をつぶって見える姿は違います。
私は、目をつぶって見える姿、想像力を大事にしたいと思っています。
そのためには、「誇張」が必要です。
意味のある(自分にとって・・・にすぎないですが)誇張を追求していきたいです。
また一方で、お仕事の似顔絵でない似顔絵。
つまり、売り絵でない似顔絵の可能性も追求したい。
「人に喜ばれるために似顔絵を描く。」
これは、これですばらしいことは疑う余地はないのですが、
「描く」ということに「目的」など本来あるのでしょうか?
アールブリュット展を見に行って、そう問いかけられている気がました。
「描きたいから描く。描かざるをえないから描く。」
そんな似顔絵があっても、いいのではないか。
醜悪美も含めた、美というものに純粋であってもよいのではないか?
そして、批判や怒りの心の必要性も感じます。
おばさま方に「ヨンさまといっしょにいる姿」を描いてあげるよりも、「ヨンさまの(私が見る本当の)姿」を描くほうが、意義があると思うのです。
マイナスの面があってこそ人間。
シミやシワを消したり、髪の毛を増やしたり、鼻を高くしたり、表層的な美化ほど醜いものはないのでは?
「じゃあ、そのまま写実的に描けばいいジャン?」
と思われるかもしれませんが、それも違うと思います。
その理由は、それは他の方でもできることだからです。
「目をつむって見える顔」こそ、私にとっての似顔絵なのかも。
そんなことを考えたり、考えなかったりしています。