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少年倶楽部(PAPAの絵のルーツ)

旅行・海外


昭和42年とあるから、12歳の時か。これは大正から昭和初期に掛けて人気を博した「少年倶楽部」と言って、母の少女時代のノスタルジーで購入された復刻本です。この本を買い与えられたのが私の今日の絵のルーツと言って好いかも知れません。写真にあるのは「船のカバシマ」と呼ばれた樺島勝一先生の「敵中横断三百里」の挿絵ですね。中学にあがる頃少年Jと少年Cなんかも出て来て、漫画の世界は子供の目にも酷い絵や人まねが真っ盛りになってきて、ヨチヨチの頃から志していた漫画家の道も、最早自分の行く世界ではないと思い始めて居ました。そこへ、この本があって良かった、私は、夢を繋ぐ事が出来た。この間描いた中國故事の挿絵の彩色も、主線は毛筆だけれど、淡彩の手法は他でもないこの「敵中横断三百里」のカバシマの記憶に他ならないのですから。因みに、この樺島先生は、「東風人」のペンネームで正ちゃん帽の「正チャンの冒険」と言う漫画を描かれて居た事はあまり知られていないと思う。この手広さもまた私に影響したかも知れません。

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[122]

久し振りに来て様相の変化に驚いていますが、過去に削除した分も重複されて出ていますね。
例えば↓の[120]もそうなんですが、それを削除しようとしても関係ない番号の書き込みが消えていくので参ってしまいました。
しばらく放置するしかないか。

PAPA2005/06/26 14:25:08

[121]

無記名、数値だけの書き込みがありましたので、主旨により削除させていただきました。進行上の事で、他意はございませんので悪しからず。

PAPA2004/05/27 12:07:35

[120]

↓なんだろうと思ったけど、そう、携帯で商売すなよ、ですよね。私の携帯にも一杯記録残ってるかも。

PAPA2004/05/26 11:27:06

[119]

当時私なんかはRKBとKBCといった福岡圏のラジオを聞いておりまして、早朝の「早起きバンバン」なんて言う番組でしょっちゅうピックアップしてもらってましたが、福岡のラジオ文化は当時全国的にも出色と言っていいくらいビルボードチャートに乗っ取ったPOPSベースで、音楽に関してはTVの歌謡曲と無関係で育った人も多かったようです。

PAPA2004/05/23 3:14:42

[118]

PAPAさんへ。ラジオネーム「真っ赤なフェリックス」で途中から
「南風」に替えて投稿してました。

しなもん2004/05/22 23:13:40

[117]

しなもんさんもjijiさんと同郷なんでしょうか?それに、あの頃はがきっていくらでしたっけねえ、投稿、リクエスト、読まれる喜び、「だれさんにプレゼント」といって曲のかかるドキドキ....その後FAXなんかもあって、今はメールや掲示板があるけれど、あの時代の週単位のドリーミングがありましたよね。

PAPA2004/05/22 22:24:31

[116]

「夜のバラード」私も聞いていました。石丸美樹さんから
本格的に聞き始め、「宿題コーナー」で投稿しまくり!でした。

しなもん2004/05/22 1:40:52

[115]

jijiさん、まったくそうです。幾つになっても、あの時代に大衆画を志した子供達ですからね。

PAPA2004/05/09 14:40:30

[114]

そうそう流儀ネ!たとえば1コマの中に人物が描かれてない、単なる風景だけでもタッチや画風だけで「誰」の絵ってわかる自信ありましたよ、あの頃は。マンガを商業化してしまったのは、さいとうたかお、でした。仕事を分業化することは効率は上がるだろうけど、分身がドンドン育ち似非マンガ家が増殖してしまった訳です。私たちにも言えることだけどNO1よりONLY ONEになりたいネ

jiji2004/05/09 6:37:02

[113]

ご無沙汰でした。あの頃の漫画家は一人が一枚の明らかな絵柄の流儀の看板をしょってました。名前を言えばその流儀が目に浮かべられたものですよね。手塚の絵はこう描く、横山光輝はこうだ、と言うふうに。同じ流儀の絵は無かったのです。初めてそれ(まね)を観たのは横山光輝の真似の「遊星少年パピイ」でしたけど、後のもう誰の絵やら判らん、と言う時代の先駆けになったのは、皮肉にも「刷新」を目指した貸本劇画集団でしたね。思えば、白土三平にしたって、後にあれだけの個性を発揮しながら、出発点は手塚治虫が敷いた、少女漫画も含めた当時の日本漫画の基本形だったんですよね。それが横山光輝も白土三平も、皆誰ともコレッポッチもかぶらない自分の一枚(一代の)看板をしょって立った訳で、だれ一人例外なくそうした自任のもとに誇り高く立ってた気がするのです。何時からか漫画家の名前も絵柄の流儀も私達の心象からは消えてしまいましたが、往時の一枚看板の先生達は週刊化、劇画化の波に一気にさらわれたままその後のいきさつも判らなくなってしまった方も多かったですよね。横山先生はまだ晩年までメジャーで居られたからああやって報じられたけれど、昭和50年前後の波に呑まれた名看板達の多くが、jijiさんのおっしゃる様な不遇な晩年(年代的に今がその時期になるんでしょうか?)を迎えておられるのかも知れません。淋しい事です。大衆があの頃そう選択したのですからね。

PAPA2004/05/08 10:14:53

[112]

たいへんご無沙汰いたしました・・・
しばらく冬眠しておりまして!
横山光輝先生、あのような形でお亡くなりというのは本当に悔しい、というか無念でなりません。・・・しかし・・・横山先生は鉄人や影丸などがメジャーで訃報がニュースになりますが、どうなんでしょう?ココで名があがっていた諸々の先生方も、もうイイ歳であって、でも手塚や石ノ森や横山ほどメジャーじゃない方も私たちの知らないうちに永眠されているのでしょうか・・・無念です

jiji2004/05/08 4:18:46

[111]

引っ越し途中のスポーツ新聞で、往年の大漫画家である横山光輝先生の訃報を知りました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

PAPA2004/04/17 9:11:15

[110]

先人のゴーストとしてイラストを描く場合、造詣の深さや審美眼や感性によって、その「先人ならこう描く」の解釈が違うんですね。先人とある種のラジオ周波数的なコンタクトを試みながら仕上げても、それが正解かどうかは、それが注文されているかとは関係がない、と言うのが真実です。

PAPA2004/03/22 1:19:30

[109]

その中原淳一先生のゴースト作業中です。例によってヒトサマの影武者の困難さに直面してます。資料を見ながら、一つ関係ないことに気付いたんですが、「8マン」の桑田二郎先生の絵は、多分に中原淳一先生の影響を受けている、と言う事です。そう考えてみれば、桑田先生の絵が、当時の少年漫画の中にあって、どこかスマートで、ハイカラでモダンであったと言う事にも合点が行きますね。

PAPA2004/03/14 5:45:05

[108]

日東紅茶のCMで「中原淳一」さんのイラストを用いたのがありますね。私は物凄く好きと言う訳ではありませんでしたが、若い頃何かなつかしくて、「それいゆ」とか「ジュニアそれいゆ」の復刻刋を入手して親しんだものです。今度、そのCMの「夏ヴァージョン」のための首から下の部分の継ぎ足しイラストを依頼されました。よく知ったモチーフでヨカッタと思います。余談ですが、中原淳一さんの描く女性は、往年の女優「淡路恵子」(故萬屋錦之助の奥さんだった人)さん、またはひょっとすればオードリーヘップバーンなんかの面影が入ってる様な気がします。ハイカラ、モダーン、お洒落、と言う、時代の憧れが眩しいくらいに集約されてます。

PAPA2004/03/10 15:50:59

[107]

巡り巡って落ち着いて来たと言うべきか?このところの仕事分布は書と水墨の比率が高まってきました。特に時代掛かった仮題になって来ると、ここの「少年倶楽部」に挙げた幾人かの巨匠達以外の、例えば「河目悌二」「川上四郎」「田中比左良」と言った先生方の絵の記憶が私のイマジネーションと技術を支えて居る事を感じざるを得ない。殊に偉人の少年時代の読み物に於ては、真に昨夜も描きながらその辺の「引出し」を探りながら描いていることに気が付きました。

PAPA2004/03/08 16:28:27

[106]

jijiさん、私がありがとうございますと言うのはお門違いなんですが、好きな、憧れた先生の事を知って頂くのは「ありがとう」のほかありませんね。恐らく、手本もなく手探りで、走りながら勉強してゆかれた跡が「丹念」になって現れてるんだろうと思います。「正ちゃん」の形が定まるまでには何年もかかってしまったんでしょうね。私も、モノクロの水彩挿絵と、ペン画から先に樺島勝一を知ったので、正ちゃんに関する知識は浅いまま出掛けました。若し「正ちゃん」が全て復刻される様な事があれば、私達の世界の人間にとっては、手塚先生とは行かずとも貴重な遺産じゃないでしょうかね。TINTINにも相当するモダンな趣もありますしね。

PAPA2003/12/24 17:22:01

[105]

最終日ギリギリでしたがPAPAさんのルーツ!見て参りました。そして、「参りました」!あの時代にあんな天才がいたなんて。今日、目の当たりにしPAPAさんが樺島氏に惚れ込んだ経緯がよくわかった気がします。それにしても「正ちゃん」のひとコマの隅から隅まで手を抜くことなく描かれた細密画には参りました。画力もさることながら、たったひとコマにあれだけの神経をつかって丹念に仕上げていく根気もスゴイですね。いかに手を抜くか(笑)ばかり考えている私が恥ずかしい・・・!水彩画もすばらしいですね。私は色つきよりモノクロの方に関心がいってました。船のデッサンもすばらしいですがPAPAさんの云う大海の黒々とした波のうねり、吸い込まれそうでした。PAPAさんの絵のルーツ、よーく理解できましたよ。

jiji2003/12/24 2:30:53

[104]

......BBSからの引用.....
↓に書いた「特別展 正ちゃんの冒険80年」に行って来ました。
子供の頃から影響を受けてきた樺島勝一先生の画業の一端を垣間見てきました。
あのハイカラで精緻な描法を自己流で完成された天才肌の大衆画家の実際?は
コツコツと、淡々と、粛々と積み重ね、投げ出さない真面目な男の姿そのものでした。
知ってみれば同じ長崎県人。
はじめてお目にかかった面影はご自身による水彩の肖像画(下記URL)でした。

先ず、「正ちゃん」ですが、少年向け漫画のハシリであり、キャラクターのハシリである訳で、
初期の頃は色んな絵柄への変遷、試行錯誤のあとが見られます。
面白かったのは、細密画調になった時のや、影絵物語調の絵。
これは新鮮だった。
昔の幻灯みたいにして、上映しているコーナーがあるので、
その「影絵」も、ここで堪能できると思います。

あと、展示場の終り近くに、船のカバシマ、ペン画のカバシマと云われた、
氏の本業の細密画が展示されています。
「正ちゃん....」は東風人のペンネームですが、
ここではお馴染みのK.Kabashimaの樺島たる面目がみられます。
同時期の他の挿絵画家の水彩画と決定的に違うのは、若し仮に線にミミズ線というのがあるなら、
それは面にもミミズ面というのがあって、筆をペタペタと置き重ねて書込んでゆくのが普通の画家なら、
彼は「一本の長線の冴え」に当たる、「一筆の長面の冴え」を持っています。
同じ様なジャンルの絵でありながら、それを自分に課すとそうでない事の間には、
チャンバラと真剣の差がある事を、私は知ってます。
そこに憧れたところが私の絵のスタートと云って良いと思います。
樺島先生、ありがとうございました。
(それにしても、あの海面の水の質感とうねり、どうやってマスターされたんでしょう。
あの様にこの波のベクトルが隣りの水をこう動かして....と言うのが
海面隈無く破綻なく描かれて居る。写真を写してすら、ああは描けないはずだ)

http://homepage.mac.com/mitsunorin1/shozoKK.jpg

PAPA2003/12/20 14:40:36

[103]

「正ちゃん展」に行って来た感想は、ウチのHUMMINGS'BBSの方に書きました。よかったらご覧ください。
http://6538.teacup.com/humming/bbs

PAPA2003/12/19 16:35:29

[102]

今日、正ちゃんの冒険展、行ってこようかな。
行って来たら、感想なんかもまたここで。

PAPA2003/12/19 9:19:43

[101]

また次の一週間は、毎日納品があったり、その間に出張絵描きもあったりで、忙しくなりそうですが、今月第三週あたり、先述の「正ちゃん」展、行ってこようと思います。jijiさんその頃どうです?

PAPA2003/12/07 7:42:00

[100]

それが、男の子の楽しみってもんですよね。本当に懐かしい情景が見えます。若し今だったら、あの飛行機にはサランラップなんかが使えるんでしょうね。タテ長い封筒みたいなパッケージに入って売られてた気がします。その頃は、私の田舎では「パチ」と呼んでましたが、これは、メンコというべきなんでしょうか?これも盛んでして、鉄人28号のパチなんかとても綺麗で人気ありました。お菓子なんかも懐かしいものが色々あって、例えば「カッパアラレ」といって、今のカルビーの前身ですけど、それは5円で買えました。5円玉からが私らの握りしめて駄菓子屋に走る小遣いの単位でしたね。そして、グリコが10円でした。

PAPA2003/12/03 21:18:36

[99]

それが、男の子の楽しみってもんですよね。本当に懐かしい情景が見えます。若し今だったら、あの飛行機にはサランラップなんかが使えるんでしょうね。タテ長い封筒みたいなパッケージに入って売られてた気がします。その頃は、私の田舎では「パチ」と呼んでましたが、これは、メンコというべきなんでしょうか?これも盛んでして、鉄人28号のパチなんかとても綺麗で人気ありました。お菓子なんかも懐かしいものが色々あって、例えば「カッパアラレ」といって、今のカルビーの前身ですけど、それは5円で買えました。5円玉からが私らの握りしめて駄菓子屋に走る小遣いの単位でしたね。

PAPA2003/12/03 21:16:48

[98]

何年か前、私たちがお世話(?)になった、「あの!」マブチさんがとうとう倒産に追い込まれたっていうことあり時代の流れ感じました。マブチモーターといえば私たちにとっては可動式オモチャにとってなくてはならない存在でしたね。ゴム動力といえば竹飛行機もありましたネ。羽根の部分は竹ヒゴを火であぶって曲げていき、その上和紙を水貼りしなくてはならず、ガキの私としてはアニキに頼ってやっと完成していた記憶です。そう言えばハンダづけなんかもアニキやってたっけ・・・

jiji2003/12/03 4:27:15

[97]

>「ここで説明しておこう・・・」て感じ? そう、それです。懐かしい....冬虫夏草なんてのも白土三平で知りました。それからサブマリン707のプラモね。持ってる人何人か居ました。あの頃は、ゴム動力の潜水艦プラモデルなんかが50円からあったんですよね。前の結婚の時、男の子にそう言うの買ってやろうかと思ったんですが、超合金のデキアイロボットなんかがあるばかりで、それって一種の「オニンギョさん」じゃないか!?と思ったもんです。男の子の楽しみってそうじゃないだろ?と。私は漁師町でしたから、材木の切れッ端を削って、漁船にして、スクリューとゴムを買って、海や池で遊ぶ自前の舟のオモチャ、皆持ってました。あのサブマリンの潜水艇のデザインなんて中々のものでしたよね。6枚か8枚羽根の赤いスクリューがフロントについてて、実際に動くデザインだった訳で。それに前後して、月刊の「少年」の中とじページに、「あさのりじ」と言う人の描いていた「発明ソン太」と言う漫画があって、それは提供がマブチモーターだったんですが、そこから拡がったマブチモーターの、魚雷に吸盤をつけたような、浮くものなら何でも舟にしちゃうモーター玩具が、結構ブームになりました。もう一つ「少年」の中とじで思い出すのは「木の実ひかる」さんの、切り離して手帳サイズに綴じて使う便利手帳みたいなのがありまして、冬、靴の先にトンガラシを入れとくとあったかい、と言う様なマメ知識が一杯詰まってました。 例のプラモといい、これといい、私らは「マメ○×」と言うのが好きでしたね。(変なまとめ....)

PAPA2003/12/02 21:04:19

[96]

>「ここで説明しておこう・・・」て感じ?
そう、それです。懐かしい....冬虫夏草なんてのも白土三平で知りました。それからサブマリン707のプラモね。持ってる人何人か居ました。あの頃は、ゴム動力の潜水艦プラモデルなんかが50円からあったんですよね。前の結婚の時、男の子にそう言うの買ってやろうかと思ったんですが、超合金のデキアイロボットなんかがあるばかりで、それって一種の「オニンギョさん」じゃないか!?と思ったもんです。男の子の遊びってなんだ?と。私は漁師町でしたから、材木の切れッ端を削って、漁船にして、スクリューとゴムを買って、海や池で遊ぶ自前の舟のオモチャ、皆持ってました。あのサブマリンの潜水艇のデザインなんて中々のものでしたよね。6枚か8枚羽根の赤いスクリューがフロントについてて、実際に動くデザインだった訳で。それに前後して、月刊の「少年」の中とじページに、「あさのりじ」と言う人の描いていた「発明ソン太」と言う漫画があって、それは提供がマブチモーターだったんですが、そこから拡がったマブチモーターの、魚雷に吸盤をつけたような、浮くものなら何でも舟にしちゃうモーター玩具が、結構ブームになりました。もう一つ「少年」の中とじで思い出すのは「木の実ひかる」さんの、切り離して手帳サイズに綴じて使う便利手帳みたいなのがありまして、冬、靴の先にトンガラシを入れとくとあったかい、と言う様なマメ知識が一杯詰まってました。
零のプラモといい、これといい、私らは「マメ○×」と言うのが好きでしたね。(変なまとめ....)

PAPA2003/12/02 20:56:54

[95]

PAPAさんにかきこんだ後、思いだしました「牙王」!あ~先に書かれて悔し~・・・↓いろいろでてきましたね~「ソラン」の作者の名前は私も記憶にないです。この絵も好きでよく模写してたの憶えてます。相方「チャッピー」ですよね。白土三平は私は「カムイ外伝」「サスケ」のほうが記憶に残ってます。サスケのアニメもよく観てました。「光りあるところに影がある・・・」のナレーションなつかしいです。サスケのアニメの中でもあ解説はいってました。「ここで説明しておこう・・・」て感じ?「サブマリン707」は私の中では結構ながく続いてたように思うのですが・・・潜望鏡のあの顔、今でも書けそう。名前忘れたけど黄色の小型潜航艇ありましたね。模型を買って学校の池で遊びました。一回潜ってまた浮き上がってくるっていう造りのはずが、潜ったまま浮いてきませんでした(涙)・・・

jiji2003/12/02 7:19:32

[94]

他に印象的だった漫画家さんの事を書くの、忘れてましたね。石川球太で思い出しましたが、その「ザンバ」と同時期に白戸三平が「少年王者」のリメイクの読み物の挿絵を描いていました。彼の忍者モノは好きで、影丸伝の貸し本は、田舎に全巻あります。忍法物の途中に、時折解説される忍術や、自然化学的なウンチクが少年のマニア心をくすぐりましたね。また、上手と言えるかどうかは解りませんが、「宇宙少年ソラン」を描いていた宮脇ナントカ先生の絵は、定規を使ってない粗削りな物でしたが、ユニークで印象に残って居ます。小沢さとるさんの絵は、子供心には横山光輝と紛らわしいところもあるんですが「サブマリン707」とか「エムエムサン太」とか、ちょっとセンスが好くて好きだったかも。上手さで言えば、吉田竜夫、九里一平兄弟。大きくなってからは、池上僚一の「スパイダーマン」。第一回ビッグコミック賞「ランプの下」の一ノ関圭。それと、前の奥さんに教わった高野文子「おともだち」という作品集は溜め息が出ます。海外のコミックスでは「シルバーサーファー」他を描いていたジョン・ブッシーマ。彼の本は、jijiさんとNYのダウンタウンの入口まで行った時のコミックス屋さんで、買った記憶もあります。それから、新聞か何かで、松本零二の記事中で知った「火星探検」の大城のぼるという古い漫画家の先生。彼の足跡を追いかけて出会った「汽車旅行」という漫画は、現代のどなたにもない洗練と気品を湛えていました。他にも思い出すことがあるかもしれませんが、ここまで登場した大家とはダブラない範囲で揚げてみました。jijiさんも、思い出したら是非聞かせて下さい。

PAPA2003/12/01 19:21:37

[93]

私もあの時だけ、それ以来中原淳一さんの、観てませんね。たまたま同時に観たか、その日だけ頻繁に流れたかなんでしょうね。石川球太もあすなひろしも好く覚えてます。jijiさんの言ってる犬の漫画は「牙王」でしょうか。ホントに上手かったし、後にも先にもあの道はあの人しか居ないですね。当人弁によれば山川惣治(少年ケニヤ)の後継を志したとか。私が彼を知った最初は、月刊誌の挿絵読み物で「ジャングル少年ザンバ」とか何とか言ったと思います。あすなひろしも、ちょっと水野英子的なにおいのする、独特のスタイルの完成した絵でしたね。そう言う意味ではjijiさんの少年時代の感性には「スタイル」のキーワードがあったのかとも思われますね。現に今でもあらゆる意味でスタイルを持って暮しておられる気がしますよ。

PAPA2003/12/01 10:44:11

[92]

私もあの時だけ、それ以来中原淳一さんの、観てませんね。たまたま同時に観たか、その日だけ頻繁に流れたかなんでしょうね。石川急たもあすなひろしも好く覚えてます。jijiさんの言ってる犬の漫画は「牙王」でしょうか。ホントに上手かったし、後にも先にもあの道はあの人しか居ないですね。当人弁によれば山川惣治(少年ケニヤ)の後継を志したとか。私が彼を知った最初は、月刊誌の挿絵読み物で「ジャングル少年ザンバ」とか何とか言ったと思います。あすなひろしも、ちょっと水野英子的なにおいのする、独特のスタイルの完成した絵でしたね。そう言う意味ではjijiさんの少年時代の感性には「スタイル」のキーワードがあったのかとも思われますね。現に今でもあらゆる意味でスタイルを持って暮しておられる気がしますよ。

PAPA2003/12/01 10:42:20

[91]

その「特別展」ぜひ行ってみようかな。↓のURL行って気がついたんだけど、あの頃って既にカラーだったんだろうか?とても鮮やかな色彩だけど・・・(?)ところで例の中原淳一のCM!私はあれっきり一度も見ていないんだけど・・たまたまですかねぇ~まだやってますか???ところでPAPAさん今までいろいろ漫画家さんの名前出てきましたけど、まだまだ出てきてないけど気に入ってる人いません?私は「石川球太」!動物の絵を得意としてましたね。題名わすれましたけど「犬」のマンガ!(オボエテル?)とにかく動物がうまかったっすね!それから「あすな ひろし」!繊細な線タッチがとても私の感性を刺激してくれます・・・あとは・・・まt今度

jiji2003/12/01 6:51:49

[90]

先日郵便局に行ったら、「特別展 正ちゃんの冒険80年」そ招待券がありました。
東京駅丸の内北口にほど近い「ていぱーく(通信総合博物館)」と言うところで開催されています。
http://www.japanpost.jp/pressrelease/japanese/sonota/031021j901.html

11/21~12/23。毎月曜日が休館。9時~16時半。金曜は18時半まで。となって居ます。
自分の絵のルーツとなる憧れの樺島勝一先生(正ちゃんのマンガの時は「東 風人(とうふうじん)」のペンネーム)
の作品に、書物以外で接する気持ちは、ただの昭和の田舎の子供の興奮そのものです。
時間を作って是非行きたいと思います。

http://www.shogakukan-cr.co.jp/topics/shochan/

PAPA2003/11/30 21:10:44

[89]

ここへの書き込みは、自分の掲示板を作って以来随分間が空いてしまいました。先日郵便局に行ったら「特別展 正ちゃんの冒険80年」と言うのが、東京駅丸の内北口にほど近い「ていぱーく(通信総合博物館)」と言うところで開催されています。11/21~12/23。毎月曜日が休館。9時~16時半。金曜は18時半まで。となって居ます。自分の絵のルーツとなる憧れの先生の作品に、書物以外で接する気持ちは、ただの昭和の田舎の子供の興奮そのものです。

PAPA2003/11/30 21:00:20

[88]

jijiさん、ここはカウント多いほうが好いんだから気にせず行きましょうよ。日本には、遡ればすごく質のいいイラストやキャラクターの萠芽が昭和前期まではあったんですよ。アメリカはと言えば、ずっと飽きることなくそうした伝統の上に枝葉をつけてきてるんだけど、日本の場合だけは、近年からの接ぎ木になってしまってて、その昔の個性や練れた様式美をゴミにしてしまってる気がします。くりちゃん、クルクルクルミちゃん、正ちゃん、....他ここに挙げてきたような諸々....辿れば一杯あるけど、これも年寄りのセンチメンタリズムかな。

PAPA2003/11/11 1:38:13

[87]

昔の事ですけど、復刻本が出た時に、これも「少年倶楽部」と同様に新聞に広告が出てたんですよ。で、お袋が、「中原淳一と言うのは....」と教えてくれたんです。で、やはりそれを買ったわけで、これも貴重なカルチャーショック体験の一つでした。

PAPA2003/11/10 7:30:31

[86]

おそらく、同じ時間帯に私もそのCMみてました。イラストに見入って、アッ中原淳一だ!アッ目を動かした、なんて感じだったので、なんのコマーシャルだったか おぼえてないけど・・・あの頃にしてはとてもモダンな絵ですよね。PAPAさんも「ジュニア ソレイユ」なんてよく知ってますね~・・・

jiji2003/11/10 2:29:36

[85]

おそらく、同じ時間帯に私もそのCMみてました。イラストに見入って、アッ中原淳一だ!アッ目を動かした、なんて感じだったので、なんのコマーシャルだったか おぼえてないけど・・・あの頃にしてはとてもモダンな絵ですよね。PAPAさんも「ジュニア ソレイユ」なんてよく知ってますね~・・・

jiji2003/11/10 2:28:48

[84]

夕食の時TVで(普段は仕事場のミニTVで、音声だけ聴きながら仕事してます)何かのCMで、中原淳一さんの、おそらく「ジュニア ソレイユ」、あるいは「それいゆ」のものと思しきイラストが使ってあるのを観ました。一時代をなしたもの特有のインパクトってあるんだなあ....という気がしました。彼の絵って、どこか淡路けいこ?さんだっけ?、萬屋錦之助の最初の奥さん。彼女の若いころを思わせます。誰も分からないか。

PAPA2003/11/09 0:50:22

[83]

そうそう、BBSのURLです。http://6538.teacup.com/humming/bbs地色はMACのグラファイトの色風.....かな?

PAPA2003/11/08 22:57:54

[82]

ところで、樺島勝一先生の絵のサンプルが観られるサイトが幾つかある様です。艦船のペン画なんか観てちょっと懐かしかったです。
艦船画
http://www.ships-net.co.jp/backs/artj.html

正チャンの冒険
http://www.shogakukan-cr.co.jp/topics/shochan/

また、今日新しくBBSを作りました。そうした絵の話なんかも多いに語りましょう。

PAPA2003/11/08 22:55:17

[81]

結果、漫画家ではない道を歩んでる訳だけど、jijiさん、ある意味ぼくらの時代の少年漫画家の「正統派」の道を歩いてると言えますね。思うに、jijiさんってある時代の少年の(かどうかは解んないけど)「美学」に生きる人ですよね。そう思えば(そう思って振り返れば)jijiさんの性格は解りやすい気がします。

PAPA2003/10/30 22:02:59

[80]

小学3・4年頃だったと思うけど、つのだじろうから「ブラック団」の絵入りハガキもらいました。たぶん私がなにかファンレター的なものを送ったんだと思います。子供の私はそれこそ、自分宛にあの先生からハガキをもらったってことで大感激!すっげー有頂天になったことありました。でもね、大人は気がついてます。そのハガキの絵は私のために書いてくれたものではなく、印刷!そして宛名書きやコメントもアシスタントかバイト・・・小学生の私はそんなこともわからず、つのだじろうがオレに返事くれたぁ~!って・・・でもあの時の自分の感動を大切にしたかったんですよ。と、いう訳でS社にいる時、イ○ゴ新聞に寄せられるハガキには、時間の許すかぎり、なるべく直筆で返事をかくようにしてました。

jiji2003/10/30 5:33:26

[79]

「ずるい」だったかどうか、適切な言葉が思い出せないんですが、確かにそれは私らの中によぎった思いでしたね。私の場合は「巨人の星」のTVアニメにそれを痛く感じました。球一球投げるのに、「とおちゃん、おれは...」のつぶやきと回想と、眼に炎が燃えて、足を振上げて、それでその週は終ってしまい、次週の前半掛けてやっと球が手を離れる。そうね、実感としてはやっぱ「ずるい」だったかもしれません。最近のアニメでは「ドラゴンボールZ」がそうだったかも知れませんね。私がちば・てつやについて思ったのは、「うまいな」でした。日本人の、なにか遺伝的に好きなところを、とことんくすぐってくるんだな、と言う処ですね。やはり漫画の中の「試合」の部分を延々と観たいんですよね、日本人は。次々に色んな新しい好敵手と、結局力比べして欲しい、なんだったら試合と試合の間を飛ばしてくれたって好いから....と言う気にさえさせる。きっと「北斗の拳」(絵は感心できないが)だの「柔道部物語」もそうだったんだと思います。そこをくすぐられたらもうヒットしかない。

PAPA2003/10/28 8:49:32

[78]

たしかに、石ノ森にしても、ちばてつやにしても本人が歳をとるにしたがってガキに媚び売らない姿勢になってきている傾向ありですね。それと、PAPAさんのように大学生でも漫画を読む、っていう年齢層がガキだけでなくなって来た時代になった、っていうのも意識改革の要因なのかもね。話しはかわるけど、「ちばてつや」ってちょっとズルイ奴って子供ごころに思ってました。ふつう一試合なんてそんなに長い訳ないんだけど、30秒くらいの展開を何ページも描いていく、そして次週へ、って感じで延々試合が続いていく訳です。一試合終わるのに何週間もかけていく、そりゃーPAPAさんも大学生になるって訳です・・・これは「ハリスの旋風」の時からそうでした。ハリスの時はいろいろなスポーツに乗り換えることで長持ちさせてましたね。そんな目で見てた私ってかわいくないガキですね~ 

jiji2003/10/28 3:34:21

[77]

jijiさん、相当真剣な目で視てたんですね。私は丹下団平の声真似なんかしながら視てました。漫画の「あしたのジョー」は、私が大学1~2年の頃佳境でしたね。漫画なんだけど、今の時代にしきりにつかわれる「カリスマ」と言う言葉に近いものを帯びてました。中高と、「ボーイズライフ」や「ビッグコミック」以外の少年漫画雑誌に、余り手を出してなかった自分が、大学生の時にあしたのジョー目当てでよく「少年マガジン」を買ってました。高校時代から好きだった池上遼一先生の絵が、長足の進歩を遂げてる真っ最中で、「男組」にも夢中だったように思います。こちらは「サンデー」でしたっけ?昔は「マガジン党」と「サンデー党」なんて言い方もあって、私は比較的サンデー党でやって来た気がします。「おそ松クン」より「オバQ」の方で....。話は戻って「あしたのジョー」。カーロスリベラ、ホセメンドーサ、「ガルル.....」はハリマオでしたっけ?その辺からはとても大人っぽい味がしてましたね。何と言っても、始めの頃は「ハリスの旋風」の余韻も冷めやらぬ内で、まだ少年漫画の色合いでしたし、白木マりでしたっけ、彼女が大人の女性として愛おしく観えて来たのもその頃でした。

PAPA2003/10/27 14:46:13

[76]

jijiさん、相当真剣な目で視てたんですね。私は丹下団平の声真似なんかしながら視てました。漫画の「あしたのジョー」は、私が大学1~2年の頃佳境でしたね。漫画なんだけど、今の時代にしきりにつかわれる「カリスマ」と言う言葉に近いものを帯びてました。中高と、「ボーイズライフ」や「ビッグコミック」以外の少年漫画雑誌に、余り手を出してなかった自分が、大学生の時にあしたのジョー目当てでよく「少年マガジン」を買ってました。高校時代から好きだった池上僚一先生の絵が、長足の進歩を遂げてる真っ最中で、「男組」にも夢中だったように思います。こちらは「サンデー」でしたっけ?昔は「マガジン党」と「サンデー党」なんて言い方もあって、私は比較的サンデー党でやって来た気がします。「おそ松クン」より「オバQ」の方で....。話は戻って「あしたのジョー」。カーロスリベラ、ホセメンドーサ、「ガルル.....」はハリマオでしたっけ?その辺からはとても大人っぽい味がしてましたね。何と言っても、始めの頃は「ハリスの旋風」の余韻も冷めやらぬ内で、まだ少年漫画の色合いでしたし、白木マりでしたっけ、彼女が大人の女性として愛おしく観えて来たのもその頃でした。

PAPA2003/10/27 14:44:11

[75]

展覧会や、なんだかんだで止まってしまいました・・・
今、「あしたのジョー」と「巨人の星」を合体させた「ジョー&飛雄馬」というのがでてますよね。たまたまコンビニで見かけたら、vol36「最終号」だったので、これは買っておかないと、って購入いたしました!コーナーポストに笑みをうかべてたたずむジョー・・・懐かしいです。「完」のひと文字がやけに頭にこびりついてました。「あしたのジョー」はけっこうアニメにはまりました。あの頃のアニメにしては光りを取り入れた画像が大変ショッキングでしたね。ハイコントラストの表現が今まで見たことないテクニックで感動したの憶えてます。制作はたしか「虫プロ」だったと思います

jiji2003/10/27 3:36:21

[74]

話が著しく飛んでしまうかもしれませんが、フォークブームといえば、私が明治大学に通ってたころ、学園祭に小室等やRCサクセションなんかを招いてのフォークフェスティバルが開催されて、その時のポスター、一年生だった私が描いた記憶があります。確か、墨絵で、当時自分が住んでた「戸越公園」の駅のベンチにかけたロンゲも自分の絵だったと思います。

PAPA2003/10/11 12:50:59

[73]

私も、デヴュー当時のフォーククルセダーズが好きでした。北山さんの詩がおそらく、文学的で、「大学」の薫りをさせてたせいでしょうか。「イムジン河」「悲しくてやりきれない」、前者は発売禁止になりましたが、彼らのEP版を買って持ってましたね。高石ともやの「受験生ブルース」は私らがオールナイトニッポンを聴き始めたころ盛んにかかってた曲でしたよね。岡林と云えばフォークの神様で、「私達の望むものは」「友よ」なんてのが一種の聖典になってましたが、jijiさんより若干下の私にとっては吉田拓郎の登場がそれに代わるものでした。ブラザース4、PPMに始まって、岡林で終ったフォークブームの前半が、ここから折り返したみたいでした。

イムジン河かあ...2003/10/11 0:33:49

[72]

今日開幕した「イラストレーターワークス展」の会場で、ここに何度か紹介した船の樺島こと「樺島勝一」先生とは、小松崎茂先生をはさめば二世代目の後継者とも云える、この道の大家である(e-spaceの仲間でもある)水野行雄先生と、親しくお話させていただきました。
勿論、樺島、小松崎、山川惣治先生達の話を交えて、その特殊な世界の貴重なお話を伺うことが出来ました。営々と培ってこられた確かな聖域を感じました。
他に、梁川剛一、バロン吉本先生などのお話も出てきて、既に故人たる方も多い先生達の話を、この21世紀に、こんな場所でアリアリとは為してる自分達の存在を故人達は知って居られようかと、一瞬思ったような次第です。よい一時を水野先生、有難うございました。

PAPA2003/10/11 0:23:39

[71]

もう何十年も前の話しです。地元の大学の文化祭に岡林伸康が来るって言うじゃありませんか!私は興奮して大学の講堂におもむきました!回りは大学生のお兄さん、お姉さんばかり(当然)!中学生のガキの私はういてました。コンサートが始まったんだけど、出てきたのは岡林ではなく、高石ともや・・・ン~だまされた!でもでも、みんなノってました あの頃はみんなで一緒に唄うっていうのがステイタスとしてあったんだけど、その時、高石とお兄さん、お姉さん達が声をあわせ「イムジン河」を唄うのを聞き、ちょっとチビりました。はじめて聞く曲を当然のようにみんなが合唱しはじめて、みんなが一体になってて・・・ワァ~なんなんだぁ、この世界は~!って感じでした。

jiji2003/10/03 4:44:31

[70]

唐突に思い出しました。「今日も夢見る」は万里村礼とタイムセラーズでした。「あの日の海は 二人のために耀き あの日の山は 二人のためにそびえてた あの日のすべてを今日も夢見る 誰も知らない 思い出語る さみしがり屋の若者の心」

PAPA2003/09/26 1:54:53

[69]

や~、来てくれたんだね、こんなとこまで。すずさんも佐賀の方で聞いてた訳だ。ピーピーガーガーとチューニングして。そう、「夢で逢えたら」はシリア・ポール(オリーブ)ですよね。PAPAは「忘れたいのに」とか「海の底でうたう歌」、大好きでした。奥様方が泣いて喜ぶ高崎一朗さんは12chで見掛けますし、たまにTAXIの中なんかで今仁のテッチャンの声が昼間聞こえたりすると、隔世の感があります。皆さん同じ時間に聞いてたのか。例えば冬はコタツなんかで.....中間テストの勉強なんかやって。

PAPA2003/09/26 1:44:45

[68]

あ~。。。走馬灯のように・・・(ToT)
『きょ~は、てっちゃんたんじょ~び!おめでとおお。ぱぱぱやっぱ!♪』もありましたです。。。

すず2003/09/26 0:35:23

[67]

私の上には9.8.6歳違いの兄や姉がいまして、小学校の頃からませガキでした。ほんとに・・・お二人のお話、まさしく涙の出るよなお話でございます。。
ちなみに・・・「パンチ!パンチ!パンチ!」の乗りでしたでしょ。名曲『夢でまた会え~たら・・・♪』もこれで出たんじゃなかったんでしたっけ?
で、アンコウさん復活ですって?

すず2003/09/26 0:32:23

[66]

私がラジオを聞き始めたのは来日以前のBeatlesが切掛けです。POPSヒットチャート番組なんかですね。最初の記憶のヒットチャートには「ハッピートゥゲザー」「ネヴァーマイラブ」「バラバラ」ビートルズだと「バッドボーイ」なんかが入ってました。オールナイトニッポンではカレッジフォークがハシリの頃でマリムラレイと○×(忘れました)の「今日も夢見る」が良くかかってました。「ビバヤング」と言う会報も取ってたんですよ。洋楽を聴く人も、深夜放送を聞く人も周囲には居なかったので浮いてたかもしれません。まあ、ここのテーマという事では、それも含めて感性の形成期の事だから好いでしょう。廻りも巡ってまたあらためてルーツを振り返る機縁になると思います。当時の風俗や世相の事でもアリとしましょうか。

PAPA2003/09/25 12:01:33

[65]

ここのテーマからはずれてしまいますが・・・
あの頃(高校生)の深夜ラジオって私たちにとっちゃーワクワクもんでしたよね。そう、チューナーを合わすだけでも、大変な作業でした。私の場合、午前0時前に始まる地元のラジオ放送「夜のバラード」(ヨルバラっていってました)というのは、はずせないヤツでラジオから流れるDJのお姉さんの色っぽい声に毎晩クギズケでした・・・そしてチューナーを動かしオールナイトニッポンです。今はミュージシャンやタレントが担当してるようだけど、あの時代はいわゆる局アナ「糸井五郎」だったり「春日部のテッチャン」「カメ&アンコウ」だったりです!こんなの知ってる人、そうとうオヤジ!あの頃は日本の人口もまだ1億に達してなくて「9千5百万人のポピュラーリクエスト」なんて番組もありましたっけ・・・

jiji2003/09/25 3:29:13

[64]

もうここって、jijiさんとPAPAの独演漫才になってしまうんでしょうか。私ね、「パンチ」でまた一つ思い出してしまったものがあるんです。ホント、マニアックでご免なさい。昔、田舎の、九州の離島からニッポン放送を拾って聞いて居たんです。それも、コロンビアかなんかの、ラジオ付きポータブルレコードプレーヤーのラジオでです。このアイテムはエレキブームと歩調を合わせて「若者」には結構普及してたものですが、小さなチュ-ニングダイヤルで、ピーピーガーガーやって、3mm幅ほどの僅かなヒットポイントを見付けて聞いてた訳です。(でもこれ、ニッポン放送だっけかな?全国ネットだったかも知れません。記憶がアヤフヤですが)モコ、ビーバー、オリーブの「パンチパンチパンチ」と云って、夜の10時頃から30分程の番組でした。アイドルにも興味なんてなかった私ですけど、この番組にはそれに近いムネキュンがあった様な気がします。彼女達の出したレコードも、ちゃんと海外のポップス並みのハモリが利いてて、私が愛聴した中では珍しい邦楽ナンバーと言えます。

PAPA2003/09/23 19:33:06

[63]

またしても、と言いますか、つい今しがたjijiさんから懐かしの秘蔵画像を頂きました。平凡パンチの表紙ですね。今みても新鮮です。私の記憶では。チェッカーをあしらったエンブレムマークみたいのも、表紙にあった様な気がするんですが、あれって「パンチoh!」の記憶なんでしょうかね。それとも、もっと後の記憶なのかな。

PAPA2003/09/23 14:45:59

[62]

なるほどね。図案家、カット屋、の話は、こうやって聞くまで思いもしないことだったけれど、確かにそうだわ。特に大橋歩さんの「平凡パンチ」はインパクト強かったですね。私は、別冊の「oh!」と言うのも良く覚えてます。「anan」なんかも創刊号から読んでましたね。「パンチ、anan」に対して「PB、nonno」はダサポピュラーで、丁度「11pm」と「トゥナイト(の前身、なんていいましたっけ?)」の関係でしたね。そうか、高校生の時にイラストレーターに傾き始めたんですか。その時点で、jijiさんはpapaより社会的視野がひらけてるな。それは、当時の2年お兄さんと言う年齢の差も大きいですね。私はイガグリ坊主だった訳で....。

PAPA2003/09/23 8:24:25

[61]

それまで図案家がデザイナーと呼ばれるようになった頃からカット屋がイラストレーターと呼ばれるようになり私たちの青春時代に輝かしい(?)イラストレーターなる先達が登場いたしました。子供向けの漫画雑誌でもなく、おやじ達のえげつないエロ雑誌でもない、さわやかな(?)若者向けのエロ雑誌の登場です!「平凡パンチ」「プレイボーイ」の存在があって横尾忠則、大橋あゆみなどという絵描きが世に出、イラストレーターというヨコ文字もその時から使われるようになりました。漫画家の夢からイラストレーターになりたい!って単純に思い始めた高校生のわたしデス・・・

jiji2003/09/23 5:29:15

[60]

「PAPAの絵のルーツ」と言うトピックには、さっきアップした古いアメリカ製TVアニメと、更にあと一つ、いや二つ程続きがあります。「ノーマン・ロックウェル」と、親父の書道です。今年は、子供も産まれますし、初めての展示会も経験して、もう一度自分に出来る事、自分が悔いを残さず自分の画業をつとめあげる事、等について、ここらで見つめ直してみるのにいい機会に差し掛かってるような気がしたので、loftworkさんの軒先を借りてゆっくり自問してみようと思った訳です。でも、好きな懐かしい絵の事は、それを抜きにしてもやはりまぶたに描いて楽しい。なんたって小さい頃から今まで、一番長い事この瞼の裏のスクリーンを占拠してきた訳だしね。

PAPA2003/09/19 2:36:43

[59]

そうですか~?観えなくなってきましたか?イイんじゃないですか、焦んなくても。じっくり時間をかけて自分探しを続けましょうヨ!そんなこと言ってる私もまだまだ、ですね。あれもしたい、これもしたいって思ってる間はまだまだ自分をみつけられてないってことなんだけど、けっこうそのモチベーションこそが明日への糧になってることは間違いない。いつまでたっても今の自分に満足できないのが私のモチベーションです

jiji2003/09/16 6:17:59

[58]

ライフワークの話が出てきましたね。ルーツの事と、ライフワークの事は絵描きにとっての来し方、行く末ですよね。私の場合漫画やキャラクターを描いてた時に、まだ観えていたライフワークが、今また、観えにくくなっています。この絵を使って、生涯を通して、この思いと言うか、自分が見付けた何かをどう伝え、残して行こうか、と言う事なんですが、漫画~キャラクター~イラスト、と辿るほどに、その中に籠める事が難しくなって来ました。なんたって、私らの仕事は、注文に最大限応えていく事ですもんね。でも、そういきまなくとも、ひとの生涯通した仕事の積み重なりの中には、某かの声が録音されてる気がする様にも思えます。歳のせいもあって、自分が残せそうなものの数や、残し方の事が頭をかすめはじめてるのは確かです。これまでは、はっきりしたライフワーク意識が自分のモチベーションになってましたが、今は兎も角家族に安定をもたらすことがモチベーションになっています。済みません、難解な話にしちゃったかな。

PAPA2003/09/15 1:48:30

[57]

ライフワークの話が出てきましたね。ルーツの事と、ルーツとライフワークの事は絵描きにとっての来し方、行く末ですよね。私の場合漫画やキャラクターを描いてた時に、まだ観えていたライフワークが、今また、観えにくくなっています。この絵を使って、生涯を通して、この思いと言うか、自分が見付けた何かをどう伝え、残して行こうか、と言う事なんですが、漫画~キャラクター~イラスト、と辿るほどに、その中に籠める事が難しくなって来ました。なんたって、私らの仕事は、注文に最大限応えていく事ですもんね。でも、そういきまなくとも、ひとの生涯通した仕事の積み重なりの中には、某かの声が録音されてる気がする様にも思えます。歳のせいもあって、自分が残せそうなものの数や、残し方の事が頭をかすめはじめてるのは確かです。これまでは、はっきりしたライフワーク意識が自分のモチベーションになってましたが、今は兎も角家族に安定をもたらすことがモチベーションになっています。済みません、難解な話にしちゃったかな。

PAPA2003/09/15 1:47:23

[56]

以前のPAPAさんに言わせれば、横山光輝の三国志とはまた違うのでしょうが、手塚氏のライフワーク的作品に「火の鳥」がありますネ。まだ執筆途中だったのかも知れませんが、一応全巻ウチの本棚にならんでおります。大学の卒業制作で「火の鳥」をヒントに映像作品創った憶えあります。アッ私、実は大学では映像関係もやってました・・・石ノ森氏もその実「サイボーグ009」はまだ完結しておらず、ライフワークとしてまだまだ構想があったと聞いております

jiji2003/09/14 5:35:21

[55]

手塚治虫の初期の漫画の表紙が、英語のタイトル文字を配した、レトロフューチャーなポスターと言ってよいクオリティーのものであって、彼のアメリカの商業美術への憧れが良く表れていました。今みても、他のどの漫画家にもない、おしゃれで、洗練された世界です。こちらがレトロフューチャーな黄、赤の印象であったのに対して、石森の場合、何故か黒の印象が最初に焼き付きました、艶の無い重鉄のような質感のペン入れもそうだし、顔も、普通の少年漫画の作家のそれは甘味で出来てるのに、ワーゲンのデザインみたく、変わってて苦味のある面立ち、あの重たげなズボンのたわみ。独自のものでした。多少影響を受けたと思われる人も2~3居ましたが。それと、彼はギャグにおいて特筆すべき才能がありましたよね。藤子不二夫のオバQなんかに、加勢して描いてた事もあるんですが、石森の部分だけ拾い読みした事もあります。可笑しかった。そのマルチぶりを見た時、皆「天才だあ」と漏らしたんじゃないでしょうか。

PAPA2003/09/12 16:22:42

[54]

手塚治虫の初期の漫画が、英語のタイトル文字を配した、とてもレトロフューチャーなものであって、彼のアメリカの商業美術への憧れが良く表れていました。今みても、他のどの漫画家にもない、おしゃれで、洗練された世界です。こちらがレトロフューチャーな黄、赤の印象であったのに対して、石森の場合、何故か黒の印象が最初に焼き付きました、艶の無い重鉄のような質感のペン入れもそうだし、顔も、普通の少年漫画の作家のそれは甘味で出来てるのに、ワーゲンのデザインみたく、変わってて苦味のある面立ち、あの重たげなズボンのたわみ。独自のものでした。多少影響を受けたと思われる人も2~3居ましたが。それと、彼はギャグにおいて特筆すべき才能がありましたよね。藤子不二夫のオバQなんかに、加勢して描いてた事もあるんですが、石森の部分だけ拾い読みした事もあります。可笑しかった。そのマルチぶりを見た時、皆「天才だあ」と漏らしたんじゃないでしょうか。

PAPA2003/09/12 12:53:55

[53]

このお2人はたしか両氏とも同じ60歳で亡くなられたと記憶しております。なにもそこまで合わせなくても・・・何年か前、両国の江戸博物館の地下の展示館で石森氏の回顧展ありまして、行って参りました。当たり前ですが、直筆の作品の展示で感動ものです。よくぞ、ここまで残しておいてくれました!というアイデア出しのエンピツ画。もちろん、私が少年期に感動した石森作品!!そしてなにより、やはり漫画家であり芸術家、イヤやっぱり「作家」としての氏の趣味で描かれた「画」に撃沈いたしました。そうですね「鬼」っていう表現、あたってます。

jiji2003/09/12 5:11:49

[52]

その二人は、天才でないと、誰が言えましょう。また、その二人はですね、当時兄貴とよく話題にしたんですが、例えば見開きの岩山のページなんか、画面くまなく指で辿ってみるくらいの、恐ろしいほどのカキコミをやっちゃう、否、出来ちゃう人でした。「手塚がまたやってるよ」とかいって眺めると、真冬に机で、足の小指を打った時みたいな変な笑いが込み上げるしか反応の仕様のない、スゴイ絵でした。石森章太郎にしたって、イヤミなくらい膨大な連載本数を抱えながら、よくまあそこまでと言う根気仕事をしてました。これはもう、jijiさんのおっしゃる発想力の天才と、努力って言葉も寄せつけない「鬼」と言うべき打込み様ですね。

PAPA2003/09/10 9:27:38

[51]

そのことで思い出したのが「クイズダービー」における知識の泉、「はらたいら」ですね。なんでも答えちゃうその知識の裏にはそういった自分への糧を得るべき努力があってこそなのでしょうね。知識と発想というのは相、通じているのでしょうか?私が先に言った「頭イイ」は知識ではなく、発想のほうなんですよ。発想力って観点でやっぱり手塚や石森などは天才って思っちゃう訳であります

jiji2003/09/10 3:50:19

[50]

漫画家がアタマ良く出来てる、と言うものでは、元々はないんだと思いますよ。現在の漫画家のデヴュー時がどういう状況かは知りませんが、時間的、経済的、環境的に非常に壮絶な中で、考証なんか調べたり、山程の資料と格闘しているうちに、否応なく勉強させられてしまうという事はありますよね。昔700枚の漫画を田舎で描いた事がありましたが、相当博学になってしまいました。誰でも、一本の長編読切を描いたとしたら、それだけで否応なくある程度は博学になると思います。漫画を書いてたコタツの廻りが、外輪山みたく本の山になって、すべての本を採算引っ張り出して確認しながら描いたもので、当然何十年とそれをやってこられたような方は世の中で一番勉強しておられる方かもしれません。そう、「頭がいい」も何も飛んでもない分量の「勉強家」であるには違いないと思います。勿論考証のことばかりでなくね。やはり、恐るべき情熱と、体力を支える志し無くしては務まらないでしょうね。私なんか今の仕事をやっててすら、もう眼が限界っぽいですもん。

PAPA2003/09/09 9:32:54

[49]

いたいところをついてこられましたね・・・私がキャラクタービジネスに足を踏み込んだ話しは、おいおいいたしましょう。では何故、漫画家の世界に挑戦しなかったのか!それはね、頭が悪いから!絵を描くのが好きでもストーリーを考えられなければ、成り立たんですよね。その部分が私には欠けてるの充分わかってましたので。
やっぱり、なんだかんだ言って、漫画家さんって頭イイと思う訳です。

jiji2003/09/09 8:04:02

[48]

ところで、と言って話を切り替えるのもなんですが、その様に漫画少年だったjijiさんが、どういう経路でキャラクターデザインに目覚めていったんでしょうか?確かに漫画って言うものは大変と言う事はありますけど、jijiさんがその世界に踏入られた頃と言うのは、まだキャラクタービジネスの世界だって、絵描きの仕事として認知されるほどでもなかった頃じゃないかと思うんですが。それとも単純に美大卒業後の就職問題として視野に入ってきたとか?

PAPA2003/09/08 4:23:55

[47]

往時の月刊漫画時代の名看板だッた先生方のうち、今尚現役でやっておられる方々は、その後(急激な劇画化の時期を挟んで)何十年か掛けて、再度のモチベーションを見付けて来られたんだと思います。「三国志」を初めとして、漫画で学ぶ「歴史物」や「ハウツー物」「聖典」なんかが、迷いはじめた管理職層なんかに読まれたりして、結局、昔彼らにお世話になった世代が、また彼らと出会ってるんでしょうか?横山光輝先生は、一時の劇画調は、殆ど捨てられて、元の自分のアイデンティティーに帰られたように観えます。また桑田次郎先生は、昔あんなにハイカラ(東八郎ってカッコ良かったでしょう?ズボンにもアイロンかかってましたよ)だッたから、西洋風の方かと思ったらあにはからんや、仏典なんかの分野でライフワークを見付けておられましたね。「スーパージェッター」「風のフジ丸」の久松文男先生のも、この間初めて観ましたが歴史物を描いておられました。彼は、登場した時から完成度の高い絵で好きでしたが、少し光を失ってたきがします。と言うのは、私もこの間歴史調のを描いてみて分ったんですが、やはり漫画畑の人間は、思い入れのあるハッキリと際立った正義の主人公(魅力的な顔のね)が居ないと、絵自体も焦点を無くして、描く活力が半減してしまうんですね。私の場合は、逆に、ヒーロー物でしたから、その活力を何十年か振りに思い出しました。

PAPA2003/09/08 3:49:27

[46]

そうは言っても、やはり今に名を残す先達は画力もさることながら、やはり発想力、感性なるものは私ら凡人がどうこう言えるものではないですぞ!今でこそ情報は氾濫しておるが、あの頃は自分の感性だけが命といってもよい時代だったでしょ?時代に迎合しなければいけない事実は今の我々にも共通する悩みなのかな?・・・話しは変わって、横山光輝の「三国志」図書館にあって、全巻読もうと思って今だはたせず・・・こういう「いい」仕事やってるの見ると、やっぱり昔(?)の漫画家って
スゴイと思っちゃう!

jiji2003/09/08 3:25:39

[45]

そうですそうです。jijiさんの記憶が正しいと思います。ただ、その「柔道一直線」だったでしょうか、ひょっとしたら別の漫画だったかもしれません、先に出て来た貸し本時代の、言わば劇画三羽ガラス、と言うのが仮にあったとしたら、さいとうたかを、川崎のぼる、有沢鋭一でしたッけ、有吉鋭一でしたっけ、 アリヤンと呼ばれてましたが(後に園田みつよしに改名したんだっけ)その人が最初は描いてたんじゃなかったかな。それを途中から引き継ぐ形で、永嶋慎二さんが登板されたんじゃなかったかな?、と言う曖昧な記憶があります。それは別タイトルの柔道漫画だったかな?でもね、これは私が大学に入って上京したころには、時代は完全に劇画中心になってて、往年の月刊誌時代からの有名漫画家さん達が、(これも出版社のお達しなんでしょうか?私は、時流なのかなと思いましたが)軒並み劇画調に画風を変えちゃって、残念な思いをしました。手塚氏なんかがそうであるのはjijiさんも(陽だまりの木だっけ?)知っておられるでしょう。彼の場合は、ガックリはしたけど、他の描き手さんに較べたら成功した部類という気はします。横山光輝なんかは、ムリして女性のヌードも描きましたが、三角のスルメが横倒しに張り付いたようなオッパイを描いてました。武内つなよしの「青年赤胴鈴の介」と言うのを立ち読みで眼にしてしまった時には、哀れささえ感じてしまって見るに堪えませんでした。そのまま堂々と自分の「マンガ」で描いてれば世の中にたった一人の看板なのに、と思えました。勿論、プロなら、手法が変わったくらいで質を落とすな!と言う厳しい意見も腹のうちに持ってましたが。そのことも、どんなに上手く見えても、基礎画力でなく、「描き方」と言うテンプレートで描いてると、そのテンプレートが仕えなくなった時に、対応でき無くなるんだな、と言う教訓を、私に残したかもしれません。

PAPA2003/09/06 12:38:37

[44]

そうですそうです。jijiさんの記憶が正しいと思います。ただ、その「柔道一直線」だったでしょうか、ひょっとしたら別の漫画だったかもしれません、先に出て来た貸し本時代の、言わば劇画三羽ガラス、と言うのが仮にあったとしたら、さいとうたかを、川崎のぼる、有沢鋭一でしたッけ、有吉鋭一でしたっけ、
アリヤンと呼ばれてましたが(後に園田みつよしに改名したんだっけ)その人が最初は描いてたんじゃなかったかな。それを途中から引き継ぐ形で、永嶋慎二さんが登板されたんじゃなかったかな?、と言う曖昧な記憶があります。それは別タイトルの柔道漫画だったかな?どもね、これは私が大学に入って上京したころには、時代は完全に劇画中心になってて、往年の月刊誌時代からの有名漫画家さん達が、(これも出版社のお達しなんでしょうか?)軒並み劇画調に画風を変えちゃって、残念な思いをしました。手塚氏なんかがそうであるのはjijiさんも(陽だまりの木だっけ?)知っておられるでしょう。彼の場合は、ガックリはしたけど、他の描き手さんに較べたら成功した部類という気はします。横山光輝なんかは、ムリして女性のヌードも描きましたが、三角のスルメが横倒しに張り付いたようなオッパイを描いてました。武内つなよしの「青年赤胴鈴の介」と言うのを立ち読みで眼にしてしまった時には、哀れささえ感じてしまって見るに堪えませんでした。そのまま堂々と自分の「マンガ」で描いてれば世の中にたった一人の看板なのに、と思えました。勿論、プロなら、手法が変わったくらいで質を落とすな!と言う厳しい意見も腹のうちに持ってましたが。そのことも、どんなに上手く見えても、基礎画力でなく、「描き方」と言うテンプレートで描いてると、そのテンプレートが仕えなくなった時に、対応でき無くなるんだな、と言う教訓を、私に残したかもしれません。

PAPA2003/09/06 12:34:34

[43]

私の記憶では「ゼロ戦はやと」より「サイボーグ009」はずっと後発のような気がするのですが、勘違い?近藤正臣といえば、柔道一直線!桜木健一のライバルですね。たしか「柔道一直線」も少年キングでした。雑誌社から言われたのでしょうか。それまでの自分のスタイルをくずし少年雑誌向けに描いた永島慎二先生の心境は如何に!?私としては、やってほしくなかった・・・あなたではなく「川崎のぼる」か「ちばてつや」でよかったのです。でも、引き受けざる訳があったのでしょうね。そのことも、ほんとは聞いてみたかったな。

jiji2003/09/06 5:01:06

[42]

エ~!!そ、そうか、あれは金色なんだ!。記憶の中には創刊号じゃないかもしれないけど、ベージュだったような記憶になってました。そうかそうか....。それって、時価いくらくらいなんでしょうね、結構なお値打ちでは.....。皆さん、個人的リアクションで書き進めてしまって済みません。これ、jijiさんが今送ってくれた「ビッグコミック」創刊号の表紙の画像の話です。今では普通のコミック誌の一つだけれど、その登場は、当時すごくエポックメイキングな事だったんですよ。それはPS2の登場以上に。いや、もっとマイナーで、静かな船出だったかな?

PAPA2003/09/05 8:08:22

[41]

ウワ~.....またjijiさんからの秘蔵画像が届きました。年季の入ったクスミの中に、そう、たしかにベージュというか、クリーム色ベースの表紙の記憶が重なります。「何物なんだ」という期待感をあおるストレンジャーな表紙でした。jijiさんって、結構「少年の宝」を残してる人だったんだね。

PAPA2003/09/05 7:56:53

[40]

少年キングはですねえ、当時「赤胴鈴の介」の武内つなよし先生(イガグリくんもそうかな?)が、あれは何の本だっけな「冒険王」だったでしょうか?「コンドルキング」というちょっとダンディーでカッコイイ漫画を描いておられたんです。私担当の本ではないから、余りシッカリ読んだことはないんだけど、武器がトランプのカードで、これを手裏剣みたく投げると、色んなものがスパっときれるんですよ。その名前の「キング」を頂いた様な訳で。その創刊の時の呼び物は「009」に「ゼロ戦はやと」でしたね。たしかはやとのライバルは一色省吾とかいって、花形満みたいな前髪でした。何で、あの様な前髪で、目を閉じて「フッ....」とか言って喋る、近藤正臣風のキャラが、当時の漫画のライバル役には多いんでしょうね。 佐々木小次郎的なイメージかしらん。

PAPA2003/09/05 7:20:39

[39]

少年キングはですねえ、当時「赤胴鈴の介」の武内つなよし先生(イガグリくんもそうかな?)が、あれは何の本だっけな「冒険王」だったでしょうか?「コンドルキング」というちょっとダンディーでカッコイイ漫画を描いておられたんです。私担当の本ではないから、余りシッカリ読んだことはないんだけど、武器がトランプのカードで、これを手裏剣みたく投げると、色んなものがスパっときれるんですよ。どの名前の「キング」を頂いた様な訳で。その創刊の時の呼び物は「009」に「ゼロ戦はやと」でしたね。たしかはやとのライバルは一色省吾とかいって、花形満みたいな前髪でした。何で、あの様な前髪で、目を閉じて「フッ....」とか言って喋る、近藤正臣風のキャラが、当時の漫画のライバル役には多いんでしょうね。
佐々木小次郎的なイメージかしらん。

PAPA2003/09/05 7:19:06

[38]

なんと「少年キング」のネーミング産みの親だと!?これまたビックリ!!拍手、拍手!!よくぞ「キング」という単語が思いついたものですね。その当時、何かそのヒントなるものがあったのでしょうか? ・・・貸し借りの話し、想いだしました!そうです、よくやってましたよ。とにかく、兄弟、友人で購入する担当が決まってて、まわってくる順番も自然に決まってました。マァ、歳の順だったかな?ここでは添付画像機能ないですが、以前お送りしたような、なつかしい画像をメール添付で送りますね。まずはjiji書庫、宝物の「ゴルゴ13」シリーズがはじまったビックコミック’69・1月号の表 紙ででございます

jiji2003/09/05 4:16:26

[37]

樺島先生というのは、おそらくe-spaceの水野さん辺りも通過してこられたお手本じゃないかと思いますが、山川惣治(少年ケニヤ)や小松崎茂の大先輩に当たる方で、小松崎茂氏にして「樺島先生というのは天才で、例えば、浪の白は、ホワイトではなく、抜き出あって、それは自分達には不可能な画才だった」と言わしめています。ところでJIJIさん。昔の、それも月刊誌なんかは、一人でお正月号各誌を全て買うお金なんて無かった訳で、新学期に持ちよって、貸しっこしながら廻し読みしませんでしたか?で、それが戻って来てからまた読む、と言う具合に、今の漫画雑誌が、通勤の数十分で読み捨てられたりするのに較べたら、相当倍の時間の観賞にさらされていたのですよね。当時の漫画がまた、その観賞に堪え得る事が必須の条件だったとも言えますよね。因みに、私は月刊誌なら少年クラブ、週刊誌ならサンデーを買うことが多かった気がします。当時サンデー、マガジンは40円の時代で、マガジンの隠密剣士の表紙なんかが目に浮かびます。それから、これは余談だけれど、後発の少年キング、これは月刊の少年画報誌上で新週刊誌のネーミング募集があって、私が応募した名前なんです。それが多数だったんでしょうけど、賞品として、ミニチュアの少年キング創刊号が送られてきたのを覚えています。

PAPA2003/09/02 9:49:31

[36]

なるほど、やはりPAPAさんの絵のルーツは「漫画」雑誌にあるかもしれないがその実、樺島氏に於けるそれは今のイラストレーションまたはパリッシュのような現代美術の域に相当するものだったのではないでしょうか。線一本引いただけ観れば、その人の画力ってわかりますよね。何十年もかかって、私もその事がやっとわかってきたのに、あなたは少年の時からそんなとこで「えも言われぬ気品」を感じておったのですか?!なんとかわいくないガキでしょう!原点が同じようで、やはりこの時から差がついてたのね・・・

jiji2003/09/02 6:21:14

[35]

絵のルーツという点で一つ触れておきますと、最初の方で上げました「船のカバシマ」ともう一人「伊藤彦造」後に、確か「伊藤新樹」と改名したと思いますが、彼のような武者絵の挿絵画家さんの多くは、日本画壇のれっきとした門下であった方達が殆どで、それこそ少年少女のためにこそは、質のよい絵が供されるべきと言う思いから、山(画壇)を降りてその道に入られた方々なのでした。依って人物画のリンカク線などと言うものは、元々絹本に鉄線筆の一本線という緊張感で描いてこられた方達だからでしょうか、筆をペンに持ち替えたときに、例えば頬にかかる陰影を後のマンガや劇画で描くような斜線、或いは斜線の交差したアミメ線などで、タダ暗くすればよいというやり方を、潔しとはせられなかったのでしょう。伊藤彦造先生の「天兵童子」と言う作品に於ては、頬の陰影の線全ては、頬の形に沿ったなだらかな曲線が並んで居ると言った具合なのです。その一本一本の陰影線もまた、その部分の緩急面を正しく辿る描写線であるわけです。ふくらはぎも、首も、浪も、巌も、全てそうです。その様なペン画であったのです。そのペン画は、小さな挿絵になった時に、同じペンでもってタダ細かに描き込んである劇画の細密なそれと違って、えも言われぬ気品を、何処とは知れず残して居たのです。だって、同じ陰影を描きながらその頬や、衣のたなびきの何処にも、交差した斜線がないのですから。そうやって人物を描く事は、何も壊さず、人物をとても大切に扱う様で、少年の時の私も共感をもってその様な心持ちの描き方に影響された記憶があります。私は近年でもペン画の依頼のあった時に、その様なところは守っておりますが、仕事をよこした友人の同業者に言わせたら、それはいい加減であるとか、手抜きであるとか評されたりします。まあ、そう評されるのは私の未熟ゆえと言う事もありますが、少なくとも、(なれれば別ですけど)この方が、主に精神的難易度において幾十倍大変であることは事実です。

PAPA2003/09/01 17:01:58

[34]

絵のルーツという点で一つ触れておきますと、最初の方で上げました「船のカバシマ」ともう一人「伊藤彦造」後に、確か「伊藤新樹」と改名したと思いますが、彼のような武者絵の挿絵画家さんの多くは、日本画壇のれっきとした門下であった方達が殆どで、それこそ少年少女のためにこそは、質のよい絵が供されるべきと言う思いから、山(画壇)を降りてその道に入られた方々なのでした。依って人物がのリンカク線などと言うものは、元々絹本に鉄線筆の一本線という緊張感で描いてこられた方達だからでしょうか、筆をペンに持ち替えたときに、例えば頬にかかる陰影を後のマンガや劇画で描くような斜線、或いは斜線の交差したアミメ線などで、タダ暗くすればよいというやり方を、潔しとはせられなかったのでしょう。伊藤彦造先生の「天兵童子」と言う作品に於ては、頬の陰影の線全ては、頬の形に沿ったなだらかな曲線が並んで居ると言った具合なのです。ふくらはぎも、首も、浪も、巌も、全てそうです。その様なペン画であったのです。そのペン画は、小さな挿絵になった時に、同じペンでもってタダ細かに描き込んである劇画の細密なそれと違って、えも言われぬ気品を、何処とは知れず残して居たのです。だって、同じ陰影を描きながらその頬や、衣のたなびきの何処にも、交差した斜線がないのですから。そうやって人物を描く事は、何も壊さず、人物をとても大切に扱う様で、少年の時の私も共感をもってその様な心持ちの描き方に影響された記憶があります。私は近年でもペン画の依頼のあった時に、その様なところは守っておりますが、仕事をよこした友人の同業者に言わせたら、それはいい加減であるとか、手抜きであるとか評されたりします。まあ、そう評されるのは私の未熟ゆえと言う事もありますが、少なくとも、(なれれば別ですけど)この方が、主に精神的難易度において幾十倍大変であることは事実です。

PAPA2003/09/01 16:46:48

[33]

絵のルーツという点で一つ触れておきますと、最初の方で上げました「船のカバシマ」ともう一人「伊藤彦造」後に、確か「伊藤新樹」と改名したと思いますが、彼のような武者絵の挿絵画家さんの多くは、日本画壇のれっきとした門下であった方達が殆どで、それこそ少年少女のためにこそは、質のよい絵が供されるべきと言う思いから、山(画壇)を降りてその道に来られた方々なのでした。世って人物がのリンカク線などと言うものは、元々絹本に鉄線筆の一本線という緊張感で描いてこられた方達だからでしょうか、筆をペンに持ち替えたときに、例えば頬にかかる陰影を後のマンガや劇画で描くような斜線、或いは斜線の交差したアミメ線などで、タダ暗くすればよいというやり方を、潔しとはせられなかったのでしょう。伊藤彦造先生の天兵童子に於ては、頬の陰影の線全ては、頬の形に沿ったなだらかな曲線が並んで居ると言った具合なのです。ふくらはぎも、首も、浪も全てそうです。その様なペン画であったのです。そのペン画は、小さな挿絵になった時に、同じペンでもってタダ細かに書込んである劇画の細密なそれと違って、絵も言われぬ気品を、何処とは知れず残して居たのです。だって、同じ陰影を描きながらその頬や、衣のたなびきの何処にも、交差した斜線がないのですから。そうやって人物を描く事は、何も壊さず、人物をとても大切に扱う様で、少年の時の私も共感をもってその様な心持ちの描き方に影響された記憶があります。

PAPA2003/09/01 16:34:09

[32]

話がガク~ンと遡るけど、これは月刊誌だろうか?A5くらいのピンク(違う色の時もあったけど)の中とじページがありまして、ここには主に読者ページがありました。昔は、読者から寄せられた「笑いばなし」「なぞなぞ」それから、これは川柳のようなものだけど「こっけい和歌」なんてのも伝統的にありました。この「笑いばなし」は、林家さんぺい師匠もネタに使ってて「オ~イ、二階の電気ついてるかついてないか見てきとくれ」「暗くて分んないよ~」っていうのとか「ゴジラが出るのはいつだア」「ゴジラ~...」なんてのもそうでした。ずるいよね、子供の読者欄から頂いちゃっちゃ~。大正TV寄席、毎週じゃあ、創作落語はきつかったんでしょうね。

PAPA2003/08/31 11:57:49

[31]

スポンサー名連呼ね。鉄人の「グリコッグリコッグ・リ・コ~」でしょう。ハリスの旋風は、ハリス無段から続いたハリスシリーズちゅう訳です。当時のハリスガムは、やがて後発のお口の恋人ロッテに取って代られましたが、それまではガムといえばハリスで、パッケージもアメリカ物に習っていておしゃれでしたよね。当時TVCFは、スッゴイ短い枠でしたから(たとえばナンデアル、アイデアルなんてのがそう)余計連呼したかったんでしょう。テーマでは唄わなかったけど、宇宙エースなんかもガムがエネルギー源でしたね(これもハリスか?)。でもさすがに8マンも専売公社ではなかったな。こちらは森永ミルトン。そうそう、スーパージェッターは「取り舵イッパ~イ」の丸美屋ふりかけで、私は袋を集めて「タイムストッパー」を当てたんです。何の事はない、腕日時計なんですけどね、アンテナがカッコ良かったです。

PAPA2003/08/31 11:10:06

[30]

「ロボット長嶋」忘れてました!貝塚ひろしってとこで、なんとなくビジュアルがぼんやりと・・・「ハリス無段」?そんなお宅なもの知らんがな。「ハリスの風」は正確には「旋風」ね。♪ド~ンガドンガラガッタ・・・アニメもたのしみでした。あの頃は一番組一スポンサーでガムのハリスがスポンサー。風のフジ丸はフジサワ薬品。コンちゃんのとんま天狗はオロナイン♪性はおろないん、名はなんこう♪ナショナルキッドもそうか・・・あと何かあったっけ?

jiji2003/08/31 6:00:13

[29]

あと、スポ根ものね。これは、少年マガジン、ちばてつやの「ハリスの風」というのがあってそれが有名所だけど、その前に九里一平だか吉田竜夫(多分吉田竜夫ですね、九里一平は昔からハイカラなレースものを描いてたし)の「ハリス無段」さらに遡って「チャンピオン太」ってのもあったのが源流でしょうか?面白いところでは、ロボット物とスポ根物の間で「ロボット長嶋」なんてのもあったんですが、JIJIさん知ってます?貝塚ひろしでした。これはさしずめ、「月光」と同様のハイブリット物ちゅう訳でしょうかね。

PAPA2003/08/30 22:37:05

[28]

私たちの小さい頃の主人公っていうのは、正義の味方!ヒーローものがメインでした。そして時代背景は昔(忍者もの、戦争もの)か未来(ロボット、サイボーグ)にわかれていたように思います。完全に勧善(シャレ)懲悪の世界でした。昔・・・サスケ・カムイ・影丸・ゼロ戦ハヤト・紫電海のタカetc。未来・・・鉄人・アトム・8マン・009・スーパージェッター・ソラン・etc・・・ンッ?忍者部隊月光ってどっちだァ~?

jiji2003/08/30 6:15:30

[27]

今は、頼みもれなくても自分から「少女絵」なんて言って描く男性作家の方が多かったりして。ネット上に溢れんばかりですよね。思い起こしてみると、ちばてつやなんかだと「みそっかす」でしたっけね、眼に☆を描くような安直さで主人公を綺麗に見せようという事はせず、男の子物以上に心の美しさの方を描く事で、主人公が段々綺麗に観えて来ると言う事に腐心した辺りに、彼の意地の様な物が感じとれますよね。今にして言える事ですけど。

PAPA2003/08/28 7:33:54

[26]

>すずさん、はじめまして。幼少時代たくさんの漫画に囲まれて、うらやましい限りです。今の時代では女性の漫画家というのは普通ですが、昔の少女漫画は男性も描いてたんですよね。石森章太郎、赤塚不二夫、ちばてつやetc。描きたくもないのに、食う為には仕方なく(?)出版社のいいなりに描かされてた時代があったよ
うです。マァ、PAPAさんも私も食うためにギリギリのプライドを保ちながらクライアントに接している毎日です・・・

jiji2003/08/28 6:05:57

[25]

すずさん、こんな入り組んだとこまで能く入ってきましたね。どうも。その貸し本の時代というのは、漫画というのが大手の出版社じゃなく、日本中のベンチャーオヤジさんが競って起ち上げてったシステムだったんですね。描き手も絶対的に未開拓で未開の荒野だったのでしょう。例えば近所の書生さん(古い言い方?)なんかに声かけて「漫画描いてみないかい?」なんて言ってかき集めたわけですよ。言ってみれば、ポスト挿絵付き読み物文化として、巻き起こったインディ-ズブームとは言えないでしょうか?玉石混交ではあったけれど、多くの若い才能達を掘り起こし、彼らにはにデヴューの機会が広く与えられた訳で、後に色んな個性が花開く漫画文化の土壌が、その「貸し本時代」があって初めて作られたとも言える気がします。今のネット時代は、機会という意味ではその時に近いものがあるかも知れませんが、往時の、情報が行き渡りあってない時代のそれが、地域、個人の独自色が悉く反映した才能の吸い上げ機能を果せていたのに較べてどうか?というと、著しく違うものを感じざるを得ないですね。いや、折角すずさんがカキコに来てくれたのに、話は益々堅い方向へ向かってしまいました。わざわざ来て下さってありがとう。

PAPA2003/08/27 20:21:15

[24]

こんな専門的なとこにおじゃましちゃってすんません。あまりに昔懐かしくって・・・。なんせわたくし小学生時代は、貸し本屋のじょお~様なもんでしたから。父の会社の保養所件別荘というのがありました。そりゃ驚くほど(その時代でも)昔の漫画の宝庫でして。名前も何も覚えていませんが、とにかく全部読みきったんですよね。今に比べて技術的にどうのこうのという物ではないのですが、その空間が特別な思い出となりました。で、文学少女になる以前に漫画少女になったわけです。その時代に少し特別な漫画家が『わたなべまさこ』さん。のちに成人女性専門になっちゃいました。失礼ながらまったく好きではなかったけれど、私の中で、女性部門での最後の漫画だったような気がします。そこからはニューエイジっていうか・・。まさしくクローンですよね・・・

すず2003/08/27 13:15:16

[23]

私は、今の漫画家さんやその予備軍の人の凄いところって、加工技術の普及の点に於て顕著に思います。
百姓の「作物」でなくクローン「栽培」?。一応私は若い頃漫画家であったんですが、私が、中学に上がるとともに漫画を遠く感じて、志さなくなった一因はJIJIさんの指摘された点にあります。けれど、漫画に限らず、社会の仕組み自体が、横並び大量供給を、こぞって目指して仕舞って、多くの独自性を異端として切り捨てて来てしまった様に観えます。「若者はちゃんと見分けられているのか」と言う事だけれど、見分けるためにマニアになる必要やオタクになる必要があったのかもしれないですね。またマニアがお客になったからこそマニアックされる側は何でも「カリスマ」とされる様にもなったとか.....。

PAPA2003/08/25 7:31:13

[22]

最近、・・・というか、いつの頃からか「漫画」っていうものを全然読まなくなってしまいました。なんでかなぁ~?たまにヤンジャンやモーニングなどというものを見ても、昔ほどの感動というか引き込まれるものがないような・・・昔の「漫画家」に比べたら、今の作家さんの絵は技術的にもデッサン的にもスゴイものをもっていますよね。でも、みな同じ絵に見えてしまうのは私だけでしょうか?昔は例えば、そこに登場人物がいない情景だけの絵でも、これは石森、これはちばてつやの絵、ってわかったものでした。それだけ、それぞれ画風には個性ってあったと思います。女の人にはわるいのですが、いわゆる少女マンガっていうのも私の目にはどれも同じ画風に見えて、なんでみんなおんなじ絵を描くの?って思ってました。それが今、コミック界でも起こっているような気がします。テクニックはあってもちっとも個性を感じないんです。若者はちゃんと作者を 見分けられてるのでしょうかね?疑問です

jiji2003/08/25 5:28:29

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JIJIさんが描く絵の、どこかしらから永島慎二氏の影響が感じられて居ました。氏の絵の影響があったとしたら、ある程度子供の目を卒業してからか、それとも、氏の絵を切掛けに、自分と漫画の絵の関係が大人になった、心の思春期の痕跡なんでしょうね。私が、大好きだった小学校5~6年次の恩師だった先生(故郷の島の考古学に生涯を捧げられた)があるんですが、筆を持たないときの普段の書き文字が、今も、その先生の、黒板の文字に似てるんです。尊敬したり、大好きだったりする思いが、そう言う風に影響されたい思い、薫陶をしみ込ませたい思いがあるんですね。因みに、筆を持った時の字は、父のものです。私の、その二人は今はもう故人ですが、永島先生はお元気でおられるんでしょうかね。子供心にも氏の絵の変転をよく覚えてまして、悩み多き画業だったのかしらと言う印象がありますが、自分達が色んなタッチの絵を試行錯誤する仕事についてからは、苦労もあるけど、夢見る画業でもあったのかしらとも思えてきますよね。

PAPA2003/08/24 9:52:44

[20]

某デザイン専門学校の講師として週1・2回学校に行っているのですが、同じ講師の中になんと永島慎二先生がいらっしゃいました。単行本の折り返しに永島氏の写真が載っていて、小さい頃の氏の印象はサングラスにヒゲ、すごくガッチリしていて、恐そう・・・そんなイメージを描いていました。子供の頃からずっとファンだたので、氏に逢え