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INTERVIEW 2009/06/02

天野喜孝 —ファインアートに挑むジャパンカルチャーの巨匠

アニメーションやイラストレーションの分野での活躍はもとより、名作ゲーム「FINAL FANTASY」の美しいアートワークでも人々を魅了している大人気クリエイター、天野喜孝(あまの・よしたか)。
天野さんは、ここ数年来ファイン・アートの領域に進出しており、アメリカ、ヨーロッパ、さらにアジアで展覧会を開催し、大きな注目を浴びています。ロフトワーク 代表の諏訪が、世界を舞台にあくなき挑戦を続けるクリエイターの素顔に迫ります。

「1枚の絵」が流通するというおもしろさ

諏訪:コンテンポラリーアートの活動を始められたのはいつからですか?

天野:2002年です。

諏訪:もう7年ですね。

天野:ええ。でも今までと少し違う世界なので、「探りながら」というか、ほかの仕事の量も半端ではなかったですし、それと並行しながら続けていました。でも2~3年前から「そろそろちゃんとやろうかな」という感じになってます。表現方法が違うので、すごく新鮮で、もっともっとやってみたいと思っています。

諏訪:手応えはいかがですか?

天野:いろんな仕組みがだんだんわかってきて、「すごくおもしろい世界だな」と。いちばん新鮮なのは、自分の絵が1枚しかなくて、それが流通することです。それを欲しい人が1人いればよくて、それで成立しちゃう。
ゲームとかイラストの仕事は、僕の描いたものがコンピュータの中に入ったり印刷されたりして、複製されるわけです。それが作品として出回る。でもアートの場合は「1枚の絵がすべて」というのが、すごくシンプルでわかりやすい。

諏訪:ええ。

天野:それから、アニメなら視聴率、ゲームなら売り上げ本数が駄目だったら、どんなにいい仕事をやっても、否定されちゃう部分があります。でも絵の場合は「絵そのものがすべて」。受け入れられるかどうかはともかく、自分で「いいな」というものを描くことができます。「自分で責任を取れるからいいなぁ」という感じです。
それと、ファインアートの世界は、絵を売るじゃないですか。売ったら絵が無くなってしまうわけではなくて、買った人が大事にしてくれる。そういう楽しさを初めて知りました。僕なんかは絵を描いただけで満足しちゃうんですが、それを買った人がいて、それを飾ってよろこんでくれたりするという、なにかそういうプラスαがね、すごくいいなと思ってます。

《DEVA・LOCA:purpur》2009 101TOKYO Contemporary Art Fair 2009に出展された作品
《DEVA・LOCA:purpur》2009 101TOKYO Contemporary Art Fair 2009に出展された作品

キャラクターに注入されたポップアートのエキス

諏訪:コンテンポラリーアートを始めたきっかけは、どんなことでしたか?

天野:97年に生まれて初めてニューヨークに行ったんです。もともとピーター・マックスとか、ウォーホールとか、ポップアートがすごく好きで、憧れがありました。「ニューヨークのアートシーンってどうなんだろう? そこで個展をやってみたいな」と思って。それで向こうへ行って、アトリエをつくって、向こうで制作して向こうで発表したんです。

諏訪:そうだったんですか。

天野:もっと遡ると、70年代にアニメーションの仕事で「ヤッターマン」とか、あの辺のキャラクターを

つくったんです、実は(笑)。「タイムボカン」とか。

諏訪:観てました、観てました(笑)。

天野:そのとき僕がいちばん影響を受けてたのがポップアートだったんです。だからキャラクターをつくるときにポップアートの要素を入れて遊んでいたというか、まあ、仕事だったんですけどね(笑)。個人的に70年代のポップアートの世界にすごく興味があって。で、やっと97年にニューヨークに行けたので、「ここで自分の絵を発表してみたいな」と思って、それがきっかけですね。

諏訪:天野さんは15歳でタツノコプロに入って、それからずっといろんな作品を生み出されていて、まわりから見るとひたすら凄い存在ですが、苦労されたことや大変だったなということは?

天野:アニメーションは毎週締め切りがあるから大変でした。一時は「ヤッターマン」と「ガッチャマン」と「新造人間キャシャーン」だったかな、3つやってたんですよ。

諏訪:ぜんぶ観てましたよ!

天野:それがきつくて、「どうやって逃げようか」って、そればっかり考えてました(笑)。それが20代の前半ぐらいで、「もうアニメーションはいいや。ほかのことをやりたい」と思って、イラストを描き始めたんです。

諏訪:よく逃げ出さないでいてくれました。当時わたしは小学生でしたが、毎週楽しみにしていたので、天野さんに逃げ出されてしまったら困る。

天野:いやぁ、けっこう逃げ出したんですよ(笑)。

諏訪:ハハハ(笑)。じゃあ、そこからイラストの方へ。

天野:そうですね。なぜイラストを選んだかといえば、アニメのキャラクターだったら、自分の絵をだれかが真似て、それがアニメーションになります。でもイラストだったら、イラストがそのまま印刷されます。絵描きという立場で、「自分の絵はどうだろう?」と、試してみたかったんです。単純な理由です。

「その人独自の世界」は、ふだんの仕事で育まれる

諏訪:わたしは中学生ぐらいになると、栗本薫…

天野:グイン・サーガ』ですね。

諏訪:ええ。菊地秀行もよく読んでました。「FINAL FANTASY」もそうですが、天野さんの作品を観ながら成長してきました。クリエイターを含め、そういう人は多いと思います。
ファインアートを始められてからも、ファイナルファンタジーの監修をし、イラストも描かれています。幅が広いですが、時間配分はどうやってるんですか?

天野:まあ、締め切りに合わせてやってます(笑)。

諏訪:ロフトワークに登録しているクリエイターも、イラストをやりながらウェブ関連のこともやったり、デザインもやったり、3つぐらいの仕事をしていたりします。どうやって自分がフォーカスする部分というか、強みというか、「これをやりたいんだ!」っていうところをつくっていけばいいのでしょうか?

天野:絵描きに関していうと「すべて絵」だから、絵に照準を合わせれば大丈夫と思うんです。メディアは変わります。新しいメディアが出てくる一方で、なくなってしまうメディアもある。だからメディアはあまり信用しないようにして(笑)、あくまで絵描きを目指してやっていけばいいと思うんです。

アトリエの様子、紙コップを絵の具入れとして使っているそう
アトリエの様子、紙コップを絵の具入れとして使っているそう

諏訪:絵を中心にやっていく。

天野:そうです。食ってくための仕事って、時代とともに変わるような気がします。今もアニメはありますが、アニメも最初は、日本の最先端でした。ゲームは今でも最先端かもしれませんが、まったく新しい職業が生まれちゃうんですよ、世の中って。
絵描きとしては、1つのメディアだけに行ってしまうと、新しい自分の興味、おもしろそうだなと思うものに行けなくなってしまいます。絵描きはオールマイティというか、昔は絵描きが建築をやったり、意匠をやったりしました。
本来はそういうもので、時代とともに細分化されたわけですから、細分化されたメディアに惑わされない方がいいと思うんです。

諏訪:そうですね。いい話が聞けました(笑)。

天野:もちろん食ってくための仕事でベストを尽くすことも大事です。でも、それはそれとして、もう1人の自分は、絵描きとしての自分の内部を追求していく。AとBがあるとしたら、そっちがAで、Bは仕事としてやっていく。その両方がないと、たぶん、行き詰まっちゃうような気がするんです。

諏訪:なるほど。

天野:だって、絵って、楽しいですから。でも仕事になっちゃうと、だんだんきつくなっちゃう(笑)。「楽しいね!」って描くべきなんです。
「仕事以外に楽しい絵を描くための技術を習うのが仕事」みたいなところもありますね。仕事には責任があるから、どうしても失敗できない。だから仕事を続けていくと絵がどんどん上手くなる。技術的にも巧くなる。うまくなったところで、自分の表現したいものを表現すればいいと思います。
仕事で得たものを活かして、本来の自分のやりたいものにフォーカスしていけば、それが「その人独自の世界」になるわけです。完成度の高いものができるような気がします。

自分の才能を信じてやるしかない

まるで取材用に用意したかのような立派な椅子に座り、二人で記念撮影
まるで取材用に用意したかのような立派な椅子に座り、二人で記念撮影

諏訪:これからの夢を教えてください。

天野:将来的な夢はなくて、1年、2年先ぐらいまでしか決めてないんですが、やっぱり大作を描きたいと思います。でかい絵を描きたい。

諏訪:どれくらいの大きさの?

天野:20メートルぐらいのを。今、下書きを描いているんですけどね。

諏訪:それはどこで発表するんですか?

天野:まだわからないです(笑)。発表とは関係なく描いています。

諏訪:最後に、若いクリエイターたちに、メッセージをお願いします。

天野:う~ん……。僕はこういう新しい世界に入って、そんなに時間が経っていないし、学ぶことがいっぱいあるので、そういう話は……。アニメのキャラクターのつくり方とかだったらいろいろ教えられるんですけどね。
でもまあ、自分の才能を信じてやるしかないよね。自分の才能は自分しか出せないから。それを認めてもらえるかどうかが、その人の評価になってしまいますが、自分で「いい」と思ったものを表現していけば、わかってくれると思いますよ、いつかは。
あんまり早くわかってもらっても、あとが大変かもしれないから、なるべく溜めておいた方がいい(笑)。同じことをずっとやってると行き詰まっちゃいますからね。だから僕は違うことをやるんです。

諏訪:今日はどうもありがとうございました。

インタビューを終えて (ロフトワーク諏訪)

最近「え?そうなんですか?」と言われる事も多いのですが、実は私はデザイナーです。
(一応今でもそういうことにしておいてください)

残念なことに絵は子供の頃から暴力的に下手で未だにまともなものが描けません。そのせいもあってイラストレーターさんにはコンプレックスというか、会うときから「負け」ているところがあります。

しかも相手は天野喜孝。日本屈指のイラストレーターでありアートプロデューサーであり、今や世界に進出しているファインアーティスト。調べれば調べるほどすごい人なわけです。

あとがきの前置きが長くなりましたが(?)、天野さんにお会いする前、正直ビビっていたのですが素敵な人でインタビューは楽しい時間でした。

今回のインタビューでも聞けましたが、本当にクリエイティブに「真剣」です。そして自分を信じて楽しんで制作をしている。お会いしたときは手に絵の具がついたまま「すいません、ちょっとよごれてて」と照れくさそうに話されるところ、インタビュー後にアトリエで作製中の作品を嬉しそうに説明されるところ、かわいいというか光っているというか・・「クリエイターはこう歳をとりたいものだ」(天野さんすいません)と思いました。

だんだん何を話しているのかわからなくなってきました(笑)。

天野さんがインタビューで話していた「真ん中の活動」であるアートへの取り組み、実は滅多に目にする機会はありません(イラスト原画やシルクスクリーンとはちょっと違います)。機会があれば是非天野喜孝のクリエイティブ活動の中心を見てみてください。

天野 喜孝(あまの・よしたか)
≫オフィシャルホームページ

1952年、静岡生まれ。竜の子プロダクションでアニメ作品のキャラクター設定をした後、フリーになり、雑誌・絵本等にファンタジー画、装幀画を発表。出版界から注目を浴びる。83年、第14回星雲賞受賞。86年の第17回まで4年連続受賞。その後、ゲームソフト「ファイナルファンタジー」のビジュアルコンセプト、舞台美術など創作の場を広げる。
95年ごろより、パリ、ニューヨークでリトグラフの制作を開始。97年99年と2度にわたりニューヨークで大規模な個展を開催。上野の森美術館をはじめ、国内での個展開催は数知れない。
現在ではゲームをはじめ出版や映像など、様々な展開に向けて作品を製作中。ニール・ゲイマンとのコラボレーション”The Sandman;The Dream Hunter”は2000年ヒューゴー賞にノミネート、同年アイズナー賞を受賞。また画家として2000年ドラゴン・コンにおいてドラゴン・コン賞、ジュリー賞をそれぞれ受賞している。03年7月にはドイツ・ケルンにて個展を開催し好評を博した。01年から今年にかけて、「陰陽師」「陰陽師II」のキービジュアル・コンセプトデザインを手がける。

≫天野喜孝氏 今後のスケジュール
2009/8/15- 個展@NEW PEOPLE, San Francisco
http://www.newpeopleworld.com/
2009/10- 個展@台北