
「坂道の家」ではありませんが、こちらも家の様子を切り取った作品。不思議と、生活の息遣いが聞こえてきそう。
存在しない風景、ということについてもうひとつだけ例を挙げます。
今回の展示では第五章となる「町・建物」というコーナーに「坂道の家」という絵があります。オーストリアのクレームスという土地に取材した絵で、「残照」や「郷愁」から20年以上を経て描かれた作品です。
「坂道の家」は、石で建設されたヨーロッパの町並みの一角を切り取っただけの写生画です。この絵の中には人間も動物も登場しません。命あるものといえば、片隅の家の二階の窓枠に申しわけ程度に生える数輪の花のみです。
このような風景を「写生」することは、不可能ではないとしても極めて難しいはずです。現実のこの街角では、子供たちが路地裏を駆け回り、母親たちが洗濯物を干し、自転車の荷台にフルーツをいっぱいに載せた青年がペダルを漕ぎ、日だまりで猫が毛繕いをしていたでしょう。
しかし、東山魁夷は、そこに満ち溢れていたはずの生命のほぼすべてを排除し、ただ石畳と建物と光と陰のみでこの絵を構成しました。そこにあった風景を一度自分の中にとりこみ、絵の中に人間を存在させないという方針(今回の展示会で人間が登場する作品は、わずかに初期の習作二点のみです)に従い、「どこにもない風景」を再現したのです。
しかし、この小さな花のほかは一切の生命をはぎ取った風景が、なぜこれほどに穏やかで、なぜこれほどに人間的なぬくもりに満ちているのでしょうか。こういう風景は確かに世界のどこかにあり、そこには今も人の営みが溢れている。そう確かに思わせる何かが、この絵にはあるのです。まさしく郷愁が、共感や同情が底流しているのです。